★たった2両の特急「しまんと5号」

列車番号:2005D・「しまんと5号」
時刻:高松8:25→琴平9:00
車両:【1号車】2153(前半分指定席・後ろ半分自由席)+【2号車】2120(全車自由席)

高松は四国の鉄道が起点としている駅だ。
国鉄時代、この駅を目指して四国各地から特急や急行が来ていた。
駅直結の港から瀬戸内海を渡る「宇高(うこう)連絡船」で、岡山県の宇野へ約1時間の航路。鉄道連絡船と言う立場であった。宇野から岡山経由で大阪・東京へ向かうのが常識だった。
1988年、「一本列島」と称したJRダイヤ改正。これで四国と本州は鉄道で直接結ばれた。「瀬戸大橋」である。
これ以降、四国の特急は岡山発着を基本になった。四国各地から高松には、瀬戸大橋との分岐になる宇多津・多度津等で別列車に乗り換えるか、岡山発着の列車に併結してそれら駅から別れて運転する形となった。



↑各ホームには、フルカラーLED式の発車案内装置があった。JR四国管内でそれが見られる駅はかなり少ない。
高松発の列車は主に岡山行きの「マリンライナー」(写真左)や松山行きの「いしづち」(写真右)、予讃線の普通列車と高徳線列車がほとんどだ。
一方で土讃線直通列車は電化区間の琴平までの普通列車が多い。特急は岡山発の「南風」が基本で、前述のとおり宇多津・多度津等で乗り換えだ。








↑「しまんと5号」高知行きはたったの2両。
「マリンライナー」が5両、「いしづち」が3両あるのに、「しまんと5号」やほとんどの「うずしお」は2両となる。
3両と2両は大きな違いで、「自由席だと着席出来るだろうか」と言う不安も。






↑写真は1号車の2153。指定席として運用される事が前提なのか?2号車の全車自由席2120と比べると豪華な内装で、床がフローリングだった。
2号車は、窓側が全て埋まり、通路側がそこそこ空席を出している。
一方で、1号車は変則的だ。1番席~7番席は指定席。枕カバーが青くなっており、「指定席」と書いてあった。
特に仕切りや壁がなく、続いて8番席から後ろ側は自由席。枕カバーは白く何も書いていない。(下の写真)
お客の意識としては、「1号車=指定席」なので、自由席のお客は1号車に積極的に来ようとしない。だから、1号車の自由席が比較的空いていた。
1号車の11番D席(進行方向左側)に着席し、高松を発車。
「しまんと5号」は岡山発の「南風」と併結する事はなく、単独で高知に向かう。

高松発車後にすぐ検札。JR四国ではどの列車でも基本的に車掌は1人しか乗せない。
JR四国では高松地区の一部列車で接客要員の「アテンダント」を乗せる事もあるが、私が見た限り高知・松山・徳島までの”通し”行路は存在しないようだ。この「アテンダント」が車掌に代わって検札する事もある。
車掌は指定席の1番席から検札開始。指定席はほぼ全て埋まり、この日の「しまんと5号」は満席との事。
「四国お城スタンプラリーきっぷ」を見せる。
どの駅で下車するとは書いていない。
車掌から「どこまで?」と聞かれ「琴平まで」と答える。
そして、その事を確実に座席番号票に記入する。
このあと、特急に乗るごとにこのようなやりとりを繰り返すのであった。

車掌の制帽を見ると、黒ベースの色に大きく「SHIKOKU」と書いてあった。JR各社動輪をあしらったものが多い。堂々と社名を書いてあるのは珍しく、私が思いつくのでは小田急しか出て来ない。

車内の様子を見ると、全体的に簡素な事、客室から運転席を直接見せる事を基本にしていると気付いた。
JR東日本やJR北海道の特急のようにプラスアルファー的なものは一切ない。
あくまで必要最小限なものしかない。良い見方をすればJR東海のように「シンプルザベスト」。これは、他のJR四国の特急でも言える事だ。

坂出、丸亀、多度津と停車しお客を集める。多度津からは土讃線に入る。土讃線は土佐(高知県)と讃岐(香川県)を結ぶ重要な路線だ。
多度津~琴平の香川県内に限り電化されているが、琴平から先は非電化だ。
「待ってました」と言ったかのように、土讃線に入った途端”刺す”ように飛ばしだした。

4回目に続く。