八度目の再呈示。ほんとうにぼくの古典だなあ。あの大変だった時期にこそぼくの精神はしっかりしている。

 

2015. 10. 12

 

愛とは、相手の「魂」を大事にすることにほかならない。(ゆえに)大事にされたければ 自分が自分の魂を大事にし自分の魂にならなければならない。(自分の側からは、)自分の魂をそのようにして知らない者が どうして他者の魂を大事にすることが、すなわち相手を愛することができようか。この意味での「教養」のない者が愛において成功することはけっしてない。
 自分を大事にできなければ、つまり自分を愛せなければ、他者を愛せない。自分の「何」を愛するかを知っていることが「教養」なのである。
 愛は「魂」と「魂」の間のものとしてのみ真実である(自分と自分の魂との間のものとして真実であるように)。魂に、つまり自分にならなければならない。魂になっている者を見出さなければならない。魂を覚醒させなければならない。これが「教養」なのである。


魂いがいのものに意志の窮極が関わっている者は悪魔崇拝者であることは明白である。実例を至る処に無数に見出す。