生きようと欲しているかぎり悟りはない。その意欲そのものが迷いを生む。生きているかぎりは、生きている者らしく、迷いとともにあるべし。 

 

迷うなら信念をもって。

 

ふらふらとした感じで引き込まれるように善行をすると、ろくなことはない。 信念の無い善行は悪行の一種である。

 信念と言うと難しいが、確信のようなもの。生きようとするならそれが必要だ。

 

 

あらためて言うが、間主体性だけでふらふらとしているとだめなのだ。 たとえ迷いであっても主体性が必要。神はそれを通して導く。 神は間違ったものをぼくに許してはいない。