これはどちらも大事だ。両方に習熟しなければ一人前ではない。主体性から間主体性に目醒めたうちは、間主体性の誘惑というものがあって、主体性をもってゆかれるという失敗をする。この失敗は不可避であるから気にする必要はない。反省をして主体性の原則を再確立すればよい。それにしてもこういう不可避な誘惑と失敗も、主体的な冒険のひとつなのだ。まるで反省させるために失敗が主体性に巧妙に強いられるみたいだ。失敗がなければ、失敗を防ぐ反省は生じない。 

 

 

 

 

ところで、ぼくはこういう反省を書くことを、人生で存分にやりたかったのだ。小説家が人生でやりたいことが、小説を書くことであるように。