ぼくが選ぶ基準は、哲学の場合、人物である。人物のほうが哲学より優れていると言われないようでは、あるいは、まず人物に関心が懐けないようでは、ぼくが選ぶことはない。 

 

 

ぼくが関心を懐くのは、社会的評価とは関係ない。このぼくが関心を懐くのだ。これこそ人間主義であり、全幅の信頼が置ける。数ではないのだ。そして数は人間性で基礎づけられるものではない。歴史が実証するのではない。日本は外部の空気が支配する。そして日本人は、みずから外部の空気を基礎づけて恥じない。そういう日本人たちによって、外部空気支配が日本では循環存続するのだ。みずからを外部空気的に権威づけて恥じない根性、むしろ詭弁を、若い時期から生得的に有している。