ひさしぶりだが、’21年に初再呈示していた。この経験がぼくの感覚的探求の原点なのだ。

 

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ドイツにいた期間、フランスに「比較的近い」土地に居留していたので、二ヵ月に一回、独仏国境のフランスの街に泊りに行った。ストラスブール。すばらしい街だった。ここではじめてぼくは「ヨーロッパ文化」の素晴らしさを経験した。恍惚とした。「フランス文化」の真髄を直観した。「自然と人間」との、「所与と工夫」との、互いを生かしながらの「調和」である。真の人為とは、所与そのもののなかに存在する美・魅力を見出し、それをその本質として最大限引き出す工夫のことである。そして「人間性」の刻印の形をそこに捺すことである。この意味での「知性」を、感性的知性を、ぼくは全フランスにその後見出した。このような知性と美は何処にでもあると思ってはならない。自然と調和する美の人間主義は、実在存在そのものがけっして自ずから生むいわれのないものであるから(それどころかこれに反する原理の在ることをいまや知っている)。にもかかわらず、人種・国家の別なく、人間であれば誰もこの美を否定できない。これが思想概念以前の人間感覚の真実だろう。ドイツでなによりぼくが窒息していた(これを文字通りとってもらいたい)のは、この美と知性が、原理的といっていい徹底さでまったく見出されなかったからである。あの国では、感覚を圧殺するように先ず「概念」が支配しており、これを対象に押し付ける。これによって、生きている環境そのものが妙な「抽象性」をもって迫るのだ。「ぼく自身」が〈文字通り〉殺されていた。あのような空間のなかで生き得るということがまったくぼくには理解不能だった。形も色も自然のなかのものではない。主観の概念内の形・色を対象に強制することしか知らない。「センス」なんてものじゃない。「破壊」である。ストラスブールを行来するのは精神的生理的に絶対必然的だった。ぼくは二ヵ月に一度この国境の街に泊りに行くのである。そこで「空気」を吸い、束の間「自分」を思い出す。そして潜水夫のように再び絶望的にドイツの黒霧の中に自分を強制輸送し、自分の内に溜めたつもりのフランスの「酸素」でまた二ヵ月間を耐えるのである。ドイツに学ぶようなものはあるはずはなかった。ひたすら集中したのはフランス語の独習である。短期間のうちにデカルトの「方法序説」も読めるようになり(その間フランスのホテル予約も電話で仏語で済ませるようになっていた)、独仏国境を最終的に越えた。