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- 自分に向って
言葉というものは、感動というものを詳しく述べようとすると、どうしても饒舌の雰囲気を纏ってしまう。 つまり、根源である感動を結果的に「飾って」しまうのだ。芸術家も、根源に押し迫ろうとするほど、「飾ることは一つの罪だ」(ルオー)、「より一層単純に!」(ベートーヴェン)、と叫ぶ心境になる。表現の路の最初からそうなのではない。分化の厚みが根源へ還帰しようとするゆえの「一元化」が、「象徴」の美を生む。
一つの節を埋めるのに充分な一行の言葉が書ければよい。 文法上の必要を充たすのさえ煩わしい。
他事
教育とは、「秩序ある創造的な自己」に目覚める契機となるような、人的・物的な環境をもって当体となすところのものである。
教育者は医者と似ていて、生命力によって治るのを経験する「主体」は、医者自身ではないように、魂力によって自分自身となるのを経験する「主体」は、教育者自身ではない。
哲学・思想系は、それ自体「教育的」だとぼくは思っている。哲学・思想性のものを書くことは、その存在で、後ろ姿で、「教育」のことを、意図せずして語ることであり、これが最も真に「教育的」なことである。真の「教育」には常にこの逆説がつきまとう。