前節で言っている意味のほかに、思惟はそれ自体で人間を自由にする働きをもつ。人間の意識を改変することができる。もともと、無自覚的な思惟によって人間はじぶんの意識を拘束しているのであるから。 

 

思惟は自由にする、とは、(思惟は)生を創造することができる、ということである。 哲学的思惟とは、まさにそのようなものである。