幸福の原理とは、現状と思えるものを拒否して本来の自分を見いだす、拒否の力である。アランの哲学もこれであったから、高田博厚と重なるのだ。 日本人の大方が物憂く重たいのは、この力に目覚めないからである。これは思想以前の問題である。そうすると(それに気づくとはじめて)思想なるものが分かってくるだろう。 

 

アランが、「デカルトにおいてはじめて思想が満足に達した」、と言うのも、デカルトがこの力を教えてくれるからである。