もしぼくが、世がぜんぜんぼくの真価を認めないような者であるなら、ぼくは多少横着にじぶん本位に生きてよいだろう。しかし、世がじつはぼくの価値を認めているのであれば(ぼくはそのことを想定しなさすぎてきた)、ぼくはじぶんの言動において、小さなことにいたるまで、それにふさわしくなければならない。これは世のまなざしを気にかけるというのではなく、ぼくの名誉が見ていることを自覚することなのだ。ぼくはぼくの名誉にふさわしくあれ、とじぶんに言ってよいのである。