ブログの過去記事削除と新たな開始について
ブログ甲の過去記事を全て消して、ここからまた新たに始める事にした。と言うのも、今回の一連の記事で出来上がって来た私のブログの状態があまり良くないと感じられたからだ。心機一転である。
Duolingoの利用停止について
ところで、昨日で3年間を少し超える位続けて来た、主にオンラインでの外国語学習サービスを行っているウェブサイトのDuolingoの利用を止めた。その理由は、回答をタイピングではなく、画面に既に表示されて居るタイルから選択する方法でさせられる事が増えたからだ。キーボードで文字を打つ際、Duolingoでは或る言語を台にして他の言語を学ぶ仕様となって居るのだが、Windows PCに於いては台の言語と学習対象の言語の言語キーボードを素早く切り替えていく必要がある。これら、タイピングとPCの言語キーボードの切り替えの技量を上げて行く所に主眼を置いて居たので、それを部分的にせよ除かれてしまった気がしたと言う事である。ただし、この変更が行われた結果、或る言語を学ぶ際に、言語キーボードの切り替えを行わなくても良くなった。そして、他にも理由がある。Duolingoの最上位リーグであるダイヤモンドリーグに居続ける為には、毎週間、毎日、多大の時間をそこでの学習に割かねばならず、私にとっては時間的に負担が大きく、元々行っていたЛ.Н.Толстой, «Круг Чтения»の日本語訳の進捗が大幅に遅れて行く様な気がしたからだ。流石にDuolingoで3年間超学んで来たので、ロシア語のごく基本的な所は身に着いた気がするし、ダイヤモンドリーグに残り続ける為に点数稼ぎで中国語(台言語、英語)、ドイツ語(台言語、英語)とそれらの対象言語と台言語を入れ替えたコースを学ぶ様になったお陰で、中国語のピンインを少し覚え、ドイツ語の簡単な復習をする事が出来た。しかし、上に述べた理由に依り、私はDuolingoから撤退することにしたので、それらのDuolingoに於ける学習も終わりと言う事になる。
これだけ削ぎ落して時間的負担を減らして、果たしてЛ.Н.Толстой, «Круг Чтения»の日本語訳を順調に翻訳して更新していけるかどうかは解らないが、現在の時点で紙原稿の段階で2月に入ったところなので、余程真面目に行っていけば3月中には暦に追いつけるのではないかと思って居る。
Microsoft Wordの使用方法に関して
去年ぐらいからだったか、Wordの機能である、”スタイル“の使い方についての発見が幾つかあり、私は元来説明書も読まず、いきなり使っていく事で自分なりの使用方法を確立して行く方なので、そこでフォントを欧文、和文とそれぞれ決めて、文字の大きさも決めて、と言う事まではしていたのだが、今年に入ってから、本文、引用文、翻訳文と言った文章の種類、そして見出しの階層化と言った事をして居て、それらを記した後に対応する文字の色分けを行っていたのを、予めスタイルで文の種類や見出しの階層に対応した色を決めておく方法がある事に気付き、実行する様になったのだった。つまり、そうする前に、文字や見出しを記述した後に、予め記録してある色の指定表を確認する必要が無くなったと言事である。
まるで、社会で技術なり、思想なりの革新が起きて、既存のもののより正しい使い方が周知されて行く過程を、私一人の精神活動に於いて、Wordを舞台として行って居るかの如しだが、抑々、Webに繋がっているPCを購入して以来、PCとWebに関する事全てを舞台として、そう言う変化が続いて居る。2年程前の、現実の生活に於ける危機が発生するまで、約10年間程奇妙に安定した年月があったのだが、その分、停滞していた様に思う。故に、危機以来、今に至る変化の連続の日々の方が、私にとって本質的なのかもしれないし、新たな地に移り住み、その年に異常と感じられる位の回数、虹を見て以来の事かもしれない。要は、私に関しては新たな地に移り住んで以来、時代が変わったのだと理解した方が良い様だ。
おわりに
数年前、夢で鳳(おおとり)を見たのだが、これに関する私の解読が正しいのかどうか、それもいずれ判明する事だろう。ともかくは、新たな始まりである。今後、Л.Н.Толстой, «Круг Чтения»の日本語訳に注力する。