何を前提にするかで
行動は違ってくる


何を目指すか?


モチベーションの高さは大きく違ってくる
そう思ってきた。


僕は高校時代剣道部に入ってた
正直、僕は個人的に剣道部が嫌いだった

毎日放課後3時間半

ただの地獄だ

正直剣道は高校一年の夏
二段の資格取った時点で
飽きてしまった

競技に対する熱意が冷めて
剣道人としての自分を追求する気持ちが
全く起きなかった

そんな僕
剣道部を辞めることも考えたけど
親に大金出してもらって
やってるわけだったから
なんか申し訳が立たなくて
なんか辞められなかった


毎日の練習も自分をだましだまし
続けた

そんな僕、技術的な問題もあって
同級生に取り残されていった

でも技術以上に
僕がスタメンの人たちと比べ
欠けていたものがあった

それは「モチベーション」

メンバーの中には
大きな大会に出てやる
上位に食い込んでやる

と考えてしている人もいた

それに対して僕は

続けられればいい
試合に機会があれば出たいな
一回戦負けくらいかな?

と考えていた

練習の時に
どうしても差が出る
一本一本竹刀を振る勢い
気勢、気合
明らかに違ってた

精神論かもやけど

実際そうだった

それが日々の練習の差となって

歴然とした実力の差につながってたんだと思う

省エネモードの僕に対して
全力モードのスタメンたち

差があって当たり前だ

高校時代の剣道部で頑張らなかったことは
自分の責任と厳しく自分にジャッジしてみる
でも頑張れなかった環境だったから
環境は選ばないとな

将来の職場も考えて慎重に選ばないとな


その会社に入って
ビッグになりたいのか
それともただ給料のために働くのか


自分が何を前提に物事に取り組むかで
何モードになるかは決まる

自分の前提を疑ってみると
殻を破れるかも?
変わったことをしたい
平凡は大っ嫌い

昔からそう思ってきた

正直、仕事につくと
毎日同じことの繰り返し
ハッキリ言って繰り返すことが
好きになればいいが
そうじゃないと続けられないかも

就職活動をして
そういう日常を手に入れようとしている自分に
嫌悪と矛盾を感じる

最近、鬼束ちひろの自伝みたいなの買って読んだ
衝動買いってやつ

読んでいると自分と同じ考え方してるって感じた
同じタイプの人間なのかもしれない
文章の質も私とよく似てて

私も歌手になって売れたら
大金と名声を手に入れられ、周囲から注目される存在になるだろう
そうなるためにも昔から音楽しとけばよかったとか思ってしまう

ニコニコで「踊ってみた」を見ると
自分も仲間を誘ってやってみたいって思ったこともある

いずれにせよ
現状の自分が嫌だという現実逃避
その人たちに対する嫉妬が
その裏にあることは否定できない

マンガやRPG物語の主人公が羨ましく思ったことは
誰でもあると思う
その世界の人たちが自分には持ってないものを持って
決して現実では手に入れられない経験をしているからだ
(モンスターを倒す、魔法を使う)

でも、その世界の人たちが
今の僕たちの現実を見ると
羨ましく感じるのは確かだ
その人たちに出来ない日常を送っているからだ

正直ヒトって無い物ねだりをする癖があるように思う

それが進歩につながったということは言うまでもないが



満たされていないことより満たされていることへの感謝を忘れずに
↑これは昔高校時代に会った先生が言ってたことだ


歌手や野球選手が僕にはないものを持っているのは確かだが
でも私にはその人たちが持ってないものが必ずある
現実の自分を見ないと


自分が満たされていることを
知らんぷりしている所がある
現実をしっかり受け止めることから
自分がわかってくるんじゃないかな

ペンギンにはペンギンの特技があるのだ
児玉清さんが逝去された

児玉清さんといえば
パネルクイズアタック25で有名な芸能人だ

昔母に聞いたところによると
時代劇でバッサリ切られる役してたらしい

私の母はアタック25が好きでひっきりなしに見ていた
クイズの答え知ってたらテレビに向かって出演者張りに
回答している姿に子供っぽさ…あどけなさを感じた


私も実は一度でいいから出演したいと思ったことがある
意外と行けるんじゃないのか

だなんて甘い考えは
youtubeにupされている動画を見れば
粉々に打ち砕かれる

わからん!
知らん!
ええ!

という驚きの連続だ
あまりにも出題範囲が広いのだ
その範囲のえげつなさに
驚嘆以外の感情は持ち合わせられない

てか出演者知りすぎやろ~


これがゆとり世代の知識の浅はかさか?


普段は児玉さんの出てるアタック25は見ないくせに
今になってみたいと思ってしまう!


児玉さんの出てるアタック25


失ったものは
戻ってこないのかな

失って欲しがってしまう
あまのじゃくに
って言葉をよく聞く
その時代に選ばれた人たちということだ


僕がこれを聞いて
一番最初にピンとくるのが
プロ野球のイチローだ

イチローに限らずプロ野球選手は
同世代のサラリーマンがもらう
数倍の年収をもらう

でも彼らは野球が出来るだけ

野球を引くと何も残らない
正直、そういうもんだ

野球ができるだけでそれ以外が出来なくても
大衆からもてはやされる

極端な話、変なこと言うようだけど
あの人たちが江戸時代や平安時代に生まれたとしたら
あんなに周囲からもてはやされてないと思う

ただの農民や百姓で終わったと思う
身体が大きかったから侍にはなっていたかな

ある意味、時代が選んだ人たち
言い換えるなら時代の求めるものにそれなかった人たち


今の時代、大学受験では
集中力、読解力が結果の8割を占めている
その能力が高い学生は偏差値の高い大学に行ける

就職活動も日本人らしくない積極性のある学生が
有利なのは確かだ

そういう意味で正直、生まれもった能力で
さまざまな結果が変わってしまう

正直、今輝いている
プロ野球選手や芸能人など優遇されている人たちも
厳しい世界に住んでいることは事実だ

天下を取った戦国武将達も
幾多の戦という名の殺し合いの末に
頂点に立った人たちだ

輝くということは
その時代その時代の
戦いに勝っていかなきゃならないってことか
みんな輝きたがるものだしな

ある意味人ってい人生が生まれながらに
決まっているのかもな

そんなだからやはり
努力するにしても方向性が大切かな
何に力を注ぐかこれを考えないといけない

今の時代何がおいしいかな
どういう方面に努力したら
輝いていられるかな

嫉妬したって始まらない
自分の才能を活かすことが大切
それは見つけ次第で出来ると思う

いつもながら抽象的で…。
私の高校時代に通ってた塾の職員が言ってたこと

「現役時代センター試験の点が400くらいの子はなかなか次の年で5教科7科目そろえるん難しいわ。3科目くらいに絞ってアラカルトで受けさした方がいい」

「ぶっちゃけ、隣町の進学校の方がバンバンええ大学いっきょる」

この塾の職員の人たちの頭には
偏差値の高い大学=いい大学
という図式が成立してしまってるのだ

他にも高校時代の先生で
「偏差値は低いけど就職支援のいい大学とかを紹介するんやめないかんな」
その先生は偏差値の低い大学を嫌悪していた

正直、私も偏差値の高い大学に入ることを
ステータスに大学受験に臨んだ

大学受験の際、自分の実力以上のところ受けた

全国の受験生がそうだろう

でも実際、学歴社会は崩壊している
確かに、官僚やアナウンサー、研究者など
なるには学歴が必要な職業もあります

しかし、正直今の時代学歴は助けてくれません。
偏差値の高い大学にいる友人がそういってます

というより大手ばっかり受けるから
そうなっているのでしょうか
偏差値の高い大学の人はプライドが邪魔して
中小企業を受けられない場合が多いと聞く

プライドが邪魔するといっても
やはり大学受験と同様に「ブランド名のある大企業=いい会社」
という図式が成立しているからでしょうか

まあ、間違いとは言いませんが

従業員300~200人規模でも
福利厚生がそこそこ良い
優良企業はいっぱいあります

それを勘違いしないことです。

現在、多数の大学生(就活生)が大手志向をする裏には
大学受験の時の姿勢が表れてるんじゃないでしょうか?