短編小説「病という奴は」献残屋藤吉郎

 

1)親子の絆

 

1)親子の絆

親が子を思う気持ちは永遠だ、、、しかし、、子が思う心は今何処かな、、、
これは親の身勝手な思いかもしれない。
親とはそういう身勝手な考えを持っているような、、、
しかし、、いくつになっても親から見れば「子供は子供だ」と、、世間の親は思っている。
人生は永い、、「おぎゃー」と生まれて、、「はいはい歩きをして」やがて一人で歩く様になる。。それを見ながら歩む親にとっては、いつまでも「子供は子供」なのである、、、可愛い幼少時代から、、親子喧嘩をする様になるまで、そうなっても親というものは、、どこまで行っても「親」であり、、「子供は子供」なのだ。
その親子の「絆」は無くならないも、、斬れないものだ。
ましてや、、その子供が「病」で倒れれば心配で仕方がない、、
力が無くても、親である以上は「助けたい」と思うものである。

家を出て行った息子がいつも心配であった、、しかし、連絡がない時には、、勝手にいい方に勝手に解釈するもので、、「連絡がないから、、頼ってこないから元気にやっているだろうと、、
と、、思いながらも心配する日々である。
そして、ある日に娘から知らされた、、、ショックだった。
息子が不治の病にかかり、、東京のアパートで倒れたことを聞いたのだった。
親の商いの失敗で、嫁さんを守るために離婚をしていた事も知った。
その嫁さんが息子のアパート訪ねて、、部屋で倒れていて入院を刺せたということであり、、気が付かなければ死んでいたという。。
親として本当に済まないことをしたと反省して、悔いているのであった。
一人で倒れて悔しかったと思う、、寂しかったと思う。
出来ないかもしれないが、親としては引き取って「子供孝行」がしたい、、
しかし、親を恨んで出て行ったので、それも今は不可能だった。
二人の娘の話では、、、
「お父さん、無理だよ、、あいつはお父さんを恨んでいるからと、、」
云われてしまった、、、また、二人の話では「お父さんが生きている間は戻らい積りでいるよ、、」とも言われた。
しかし、、親としては辛い、、一人で暮らす息子が不憫で成らない。覚悟が出来ているので、諭すことも出来ない。
バカなことをしたと後悔している。
親も年を取り「80歳」を過ぎた、、そして、罰が当たり病気をいろいろ持っており、、闘病中であった。
医師からも寿命の宣告をされているのだった。「大腸がん、末期の腎臓炎、肝硬変,前立腺がん、、糖尿病、そして、パーキンス病」で歩行が困難な状態であった。
息子と一緒に不治の病になっていたのである。。
そんな体になっても息子が心配で有り、、代われるものなら、命を交換したいものであった。
これも親の我儘かも知れない、、、
謝って謝り切れない「子供不幸」であった。



2)生きてくれ、、いつまでも、元気になって、、、

バカな親ではあったが、、「息子よ、、生きてくれ、、」いつも、、願っている。
いつまでたっても3歳、4歳ころの息子を思い出す、、親が買い物に行くときに、当時はスクーターがあったので、、
駆け寄ってきて、前の開いているところに飛び乗って、、「パパ、、僕も行くよ、、」笑顔を見せながら着いてきたものだった、、、
そんな息子が親を嫌って家を出た、、嫁さんもいてしばらく一緒に親の家に同居していた。
それが嫁さんを連れて出て行ってしまった、、そして、嫁さんを思っての離婚だった、、、何も離婚までしなくてもと思っていたのだが、、、息子とは仕事を一時、一緒にしていたので、、倒産をした時に。。借財が残り、、一部を息子を保証人にしてしまったのだ、親としては息子を守るために「裁判」では処置方法をとって、守ったのであった。
しかし、、訴訟相手も必死だったので、最後に、息子が将来において財産を所有した場合は差し押さえが可能な判決がでてしまったのである。。要するに息子は財産することが不可能となってしまったのだった。
親は事業が失敗したときには、、その借財くらいは挽回できると考えていたのだった。
息子はそんな状態だったので、、嫁さんに迷惑を掛けたくなかったのだと思う、、、そんな深い思いやりで離婚に走ったのだった
親の身勝手な考えで、息子を借金地獄の巻き添えにしてしまったようだ、、そして、息子をグループ会社のひとつの代表にしていたので、、息子を責めた債権者がいたのだった。
しかし、息子には伝えたのだった、、、株主は親一人がやっていたので、債権者には親の責任であるから、親のところへ行けと、、、しかし、、息子は真面目過ぎたのだった、、、責任を取って苦しんだようだった。
本当に済まないことをした、、大きな「子供不幸不忠」をしたのだった。。
なんとも馬鹿な親である、、このこと以外でも息子とは殴り合いの喧嘩をしたこともあった。
そんな過去があって、苦労掛けた息子が不治の病で苦しんでいるのに、、、何も出来ないことが不外いない。。
娘から厳しく言われていることがある、、、「息子の病気は知らないことにしてと、、」そして、親に行ったことがわかったら、今は連絡が取れている連絡も出来なくなると、、、
すでに、息子は覚悟ができているようだった。死んでも親には会わないと、、、
その話を聞いた時に、、辛かった。。。「せめて、、生きているうちに一度は会いたい、、、」そして、謝って死にたいと思った。
娘は二人いるが、、もう一人の娘は息子とは喧嘩をして、、すでに「縁」を切っていると。。
それでも心配はしていたのであった。
バカな親はおろおろしているのが現状であり、どうしていいか分からない。。。



3)帰ってきて欲しい、、馬鹿な父を許してくれ、、、

出来ることなら帰ってきて欲しい、何もできないかも知れない、、、それでも田舎は空気が旨い、、きれいだ。
病が心配だよ、、何もないが、、家も大きく作ったし、、、息子よ、、体を労わって、、広い部屋でのんびりして
欲しい、、、
息子よ、、、お前が体を休ませることは出来る。
父も病に侵されて、何もしてはやれないけど、、、気持ちの安らぎくらいは、、、
妻も、、お前の母親も喘息で苦しんでいる、、、しかし、何とか病院へ連れていったり、毎月の薬をもらいにはいっている。
息子よ、、、お前の3階の部屋はお前が。出てったままだ、、、
今更、優しい言葉を掛けても遅いかも知れない、、今更というかもしれない、、し、、父親としては何かをしないではいられないのだ。。
どうか、息子よ、、どうか、親の我儘を聞いて欲しい、、、、
お前にした酷い仕打ちは取り返しがつかないが、、田舎にもどって、できることなら再起を計って欲しい。
そして、お前のやさしさで離婚した奥さんと一緒に戻ってきてくれ、、、
お前しか使っていない部屋だ、、、どうか、、父の勝手を許して、お前の体を治してくれ、、、
長女にも戻ってきて欲しい、、父の部屋は空け当たすから、、父などは先に死んでいく身なのだ、、、寝る所はどこでもいいのだ、、、ベット一つが置ければ、、
子供不幸や不忠をした父なので、何も言、えない立場ではある。。
だけど、、雨風が防げれば、、何とか生きてはいけそうだ、、、
親として「俺には言う資格」は無いけれど。。。
全て、父親である「俺の招いた」不覚であるが、、すまない、、、
どうか、、、息子よ、、治して欲しい。
取り返しの付かないことをした人生不忠を許して欲しい、、、、
「ごめんなさい、、、」