第二次世界大戦中に東南海地震・・・・・・・・・ | 梵のブログ

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東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ

HAARPなんて70年も前からあった技術です。阪神も福島も疑惑満載です。今日もまたこんなものを使われる可能性がありありなのです。黙っているのか!日本人よ!目を覚ませ!





アメリカOSS「戦略事務局」(CIA「中央情報局」の前身)作成機密文書「日本本土への地震兵器による心理的軍事作戦」(「原本資料」全14ページ中10ページから抜粋)によると
これらの資料は1945年にCIAの前身である米戦略事務局OSSによって作成された機密計画書で、いずれの内容もアメリカが日本を人工地震兵器で襲うことに言及している。
この文書には「日本本土攻撃作戦」の副題が付けられ、「悪魔の攻撃」と呼ばれる章では、「日本人の目を覚まさせるには地獄に飲み込まれたと思わせる必要がある。
、「日本の周辺にある海底のプレートをピンポイントで爆破すれば、巨大な津波を発生させることが可能となる。
目標とすべきプレートの周囲8Km内に爆弾を仕掛ければ、1年以内に狙った場所で地震を起こすことができ、津波も誘導できる」と結論付けている。
東南海地震、三河地震――第二次大戦末期、「地震・津波兵器」は、日本の軍需工場地帯を襲っていた
この機密計画書の最後には「地震・津波攻撃の目的は日本人をパニックに陥れることで、神国日本や軍部独裁に対する不信感を醸成することにある。日本人が国家を捨て、個人の生存を第一に考えるようにするためのショック療法ともいえる」と記され、その会議以降、その年の内に地震兵器はそれが強大な兵器による人工的な日本への攻撃であることを知られずに、あたかも自然災害でもあるかのようなふりをして終戦直前ついに実用化された。
その実用が1944年12月7日です。
志摩半島南南東沖約20Kmを震源として発生したM7・9の「東南海地震」。
愛知、三重、静岡などで1223人の死者・行方不明者が出ています。
詳しくは当ブログ「放射能シンドローム」の動画ををご覧ください。

http://blog.seesaa.jp/pages/my/blog/article/edit/input?id=222133554
米国の新聞は、「観測史上最大規模の大地震」、「大阪から名古屋にわたる軍需工業地帯に大損害」と誇らしげに戦果を報じている。
大地震が起こったのがちょうど軍需工業地帯だとは、いかにも出来すぎた話でおかしいと当時から度々うわさされていたようです。
まして後日、「地震の次は何をお見舞いしましょうか?」と毛筆で書かれたビラがB-29からまかれたとなると、多くの人は「アメリカがやった」と思った事でしょう。
さらにこの地震に追い打ちをかけたのが、B29爆撃機編隊による名古屋空襲でした。
これが、ビラによる「地震の次のもの」だったのでしょう。
終戦の年、1945年(昭利20年)の1月13日にも愛知県で直下型の「三河地震」が発生しました。
M6・8、死者2306人に達する大地震でしたが両方とも当時の日本政府が全てを隠蔽し、被災地以外に知られる事はありませんでした。

1945年、すでに日本が攻撃を受けた地中からの爆破である人工地震で弱体化し、勝算なきを悟って敗戦を意思表明していたにもかかわらず、それをあえて無視してB29による広島・長崎への原爆役下が強行された。
ことの真相は、完成した原爆の威力がいかほど強力であるのか、データ収集になる形で空中使用するという、格好の人体実験としてあらかじめ決めていたからだ。
米国が都市空襲と原爆で50万人以上の日本人を虫けらのように大量虐殺をしたことを忘れない。→「東京大空襲は家屋が木と紙でできていることに注目して焼夷弾使用。明らかに無差別殺戮」原爆投下は国際法違反:紀瀬美香 http://kinosemika.blog134.fc2.com/blog-entry-2474.html
米国が都市空襲と原爆で50万人以上の日本人を虫けらのように大量虐殺をしたことを忘れてはいけない。