我が家に滞在中の祖母が賢人の写真に話し掛けながら泣いていた。
普段、涙を見せる祖母では無いが…賢人の死については涙もろい。
4年前…新宿の祖母宅から広尾の日赤に通った。どれだけ助けられたか。当時、85歳の祖母が毎日作ってくれた温かい食事にどれだけ救われたか。
賢人の闘病によるストレスで出なくなった母乳。それでも賢人を救うパワーにするため2時間毎に起きて僅かな母乳を搾乳した。今考えると、よく体力がもったな…と不思議だ。賢人を必ず助けるという執念だった。その搾乳に毎回起きて付き合ってくれた祖母。賢人の死は
祖母にも深い深い悲しみとなり、心の奥深いところに刻まれた。
2009年9月からスタートしたこのブログ。
賢人との闘病生活を1~100として綴った。
読み返すと、やはり胸が締め付けられる。命の闘いほど苦しい事は無い。