怖いのはコロナか?差別か?

 

もし、あなたが新型コロナウイルス感染症と思われる症状に見舞われたときのことを想像してください。

すんなりと厚生労働省や都道府県、保健所などが周知している手順でPCR検査を受ける覚悟ができるでしょうか。

 

私の場合には、市議会の同じ会派の仲間はほとんどが濃厚接触者として扱われ(制度上の基準では濃厚接触者でなくても、道義的には外出を自粛することになるでしょう。)、私の会派は過半数の議席を確保しているので市議会を開くことができなくなります。

 

また、例えば、私に小学生の子どもがいたとすると、私が発症していれば子どもにも感染している確率が高くなります。当然濃厚接触者となりますから、2週間の出席停止扱いとなります。欠席の理由は「濃厚接触者であるため」。この事実を先生方が秘匿にしてくださっていたとしても、(制度上ではなく、)道義的に私は我が子が濃厚接触者であることを明らかにせざるを得ません。その後、例えば我が子への感染が確認された場合、ガイドラインによれば、おそらく3日間程度の学級閉鎖、そして、我が子の前後左右、斜め前後の子どもたちは濃厚接触者として2週間の出席停止扱いとなります。感染確認から4日目、学級閉鎖は解かれ、濃厚接触者以外の子どもたちは登校します。そして2週間後に濃厚接触者の子どもが、そしておそらく1か月くらいあとに我が子は大風が吹いた学級にポッカリと空いた席に戻るわけです。我が子は、その後感染以前と同じような学校生活を送ることができるのでしょうか。

 

例え話は子どもの世界だけではありません。社会人としてもいかがでしょうか。自粛ムードが和らぐ中、休業中、ウイルスに空けられてしまった大きな穴を埋めようと従業員全員が汗をかく中で、もし2、3日微熱が続き、味覚・嗅覚に変調を感じ、だるさが襲ってきたときに、あなたはPCR検査を受ける手順を踏む勇気はあるでしょうか。断言します。今の私にはありません。また、SNSなどを通じてお寄せいただいたたくさんのご意見の中にも、同じような不安を抱えておられる方の声がありました。このことがコロナ禍の根深い「恐ろしさ」だと考えます。

 

一刻も早く、感染者に「検査を受けてくれてありがとう」と言える社会にせねば

 

私は医療の知識はほとんどゼロですが、おそらく、発症したと思われるできるだけ多くの方に検査を受けていただいて、早く治療を始めれば重症化する人も少なくなるでしょうし、「運び屋」的に感染してることに気づかずに(実際はなんとなく気づいていても)誰かにうつしてしまうことは少なくなるのではないでしょうか。

 

そのためには、一刻も早く、感染者に「検査を受けてくれてありがとう。感染していることを把握して、それなりの行動をとってくれてありがとう。」と言える雰囲気を作って、感染者に対する偏見・差別がない社会を作らなければなりません。

 

人間は弱いものです。「新しい生活様式」が示されても、100%実践できるわけではありません。

そして、たとえ完全防備で立ち向かったとしても、感染するときは誰しもが感染します。

少々うかつな行動で感染したとしても、偏見・差別を繰り返していては、かえって感染拡大を招くと考えるのは間違いでしょうか。

感染して批判されているタレントがいますが、それでも私は「検査を受けてくれてありがとう」と言います。

 

サービス業中心の経済。誰もが恩恵を受けてきたことを忘れてはならない。

 

今は産業構造のうち、サービス業が70%以上を占める時代です。スペイン風が流行した年代は25%程度、この時の第1次産業の占める割合は50%超です。今とは「生きる術=生業(なりわい)」が全く異なります。

 

今回のコロナ禍で多大な悪影響を被ったのは日本の産業構造の7割を占める第3次産業、すなわちサービス業です。

当初私は、「感染拡大防止と社会経済活動との両立」という言葉に、少し違和感を感じました。これを読んでくださっている皆さんの中にも「何よりも大切なのは命」とお感じになった方がいるのではないでしょうか。しかし、今の産業構造、すなわち国民が、そして国が生きるための経済活動の70%超を止めっぱなしでは、ウイルスよりも先に経済で生きていかれない人が出てくるのは必然です。

我が国の産業構造は(もちろん多少の政治的関与があったにせよ)自由経済の成り行きの中で形成されたものであって、誰からも強制されたものでなく、現にみんなが外食を楽しみ、温泉旅行を楽しみ、お酒を楽しんで、便利なサービスを受けてきたわけです。コロナ禍だからといって、過去の産業構造の変遷を悔やみ、ただちに災いに強い第1次産業の割合を50%以上にするなどということができようもありません。

 

フェーズは「ステイホーム」から「感染拡大防止と社会経済活動との両立」に移りました。感染のリスクは当然「ステイホーム」の時よりも大きくなります。だからこそ、偏見・差別によって検査を受けることを躊躇するようなことがあってはなりません。感染が疑われる人はただちにかかりつけ医に相談して、必要があればPCR検査を受ける必要があります。そして早めに治療を受けて、しかるべき診断のもとに復帰する。そこに偏見や差別があってはならない。これがあるべき姿だと考えます。

 

最優先する「価値」を強制することも差別

 

私のもとに、「持病のある子どもを休ませたら、ズル休みだと悪口を言われた」というメッセージが届きました。

なんと貧しい社会でしょうか。新型コロナウイルス感染症は現在のところ、不治の病です。医学的に治療法が確立されていない以上、治った方は医療従事者のおかげで「たまたま」治ったわけです。そのような中、「○万人に○人しか死なないのに、家から出ないなんて大袈裟」と考えることも自由であれば、「今、健康を害するわけにはいかない。今はどうしても命を守りたい。」と考えることも自由であるべきです。

多様な考えが尊重される社会でも、未曾有の事態になるとどうしても視野が狭くなってしまうのは仕方のないことなのでしょうか。

 

自然災害とコロナと差別

 

オランダに住む友人に、「オランダではコロナ感染者に対する差別はあるか?」と聞いたところ、あっさり、「聞いたことがない。そもそもオランダは個人主義だから人に関心がない。」と返ってきました。

スウェーデンに勉強に行った際にお世話になった在スウェーデンの日本人の方にもうかがったところ、「差別?何を?誰が?」と全く的を得ない答えが返ってきました。

随分と成熟した社会だなぁとお感じの方もいらっしゃるかもしれませんが、これには私なりの仮説があります。

両国ともに自然災害が少ない国です。困ったときに隣近所が助け合う機会が少ないので、お互いに干渉する必要がないのではと推測します。日本では、洪水、台風、大地震が多発するため、隣近所はある意味「運命共同体」です。なんとなく、「おいおい、不注意で地域にウイルス持ってこないでくれよ」と差別の発端はそんなところにもあるのではないでしょうか。

 

こうしている間にも、日本ではこれから出水期です。また、最近、頻繁に震度4程度の地震が発生しているのを心配しているのは私だけではないのではないでしょうか。国や自治体もコロナ禍における自然災害発生時の避難対策を検討しはじめていますが、ここでもいわれなき偏見・差別が被害を拡大させないよう、十分な注意が必要で、積極的に発言したいと考えています。

 

第2波、第3波襲来までに必ず取り組まなければならないこと、それは、「感染者に対する偏見・差別を徹底的になくすこと」です。

 

医療従事者への偏見・差別も取り沙汰されていますが、これは言語道断であり、余談を挟む余地はありません。

 

なお、新潟市において「PCR検査を受けたいのに受けさせてもらえなかった」というご意見もお寄せいただいております。この点については、徹底的に調査し、しかるべき改善をさせますので、いつでもSNS、メールなどでご意見をお寄せください。

 

駄文、乱文、長文を最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

新潟市議会議員 伊藤 健太郎