よみうりカルチャー「鈴木健.txtの体感文法講座」2019年期受講生募集 | KEN筆.txt

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鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

現在開講中の読売日本テレビ文化センター(よみうりカルチャー)恵比寿文章講座「鈴木健.txtの体感文法講座」2019年期受講生を募集します。プロのマスコミを目指す実戦派はもちろん、趣味として文章力を高めたいという受講者にも役立つ内容を、2010年4月より多くの受講生が学んできました。読み手の目線にならったリズム感のある伝わる文章、ブログ等では意識しないテクニックを身につけるのが目的です。映画レビューや講座ごとのテーマに沿った文章をじっさいに書き文章力をつけたあとに、プロレス観戦をした上での取材実習やインタビュー実習といった目標を立てて、継続的に学んでいきます。

 

今期より第2&第4金曜日から同火曜日の講座日となります。

 

「鈴木健.txtの体感文法講座」

〔講座日時〕4月9日より毎週第2&第4火曜日19時~20時30分。3カ月分の開講日は以下――第1回…4月9日、第2回…4月23日、第3回…5月14日、第4回…5月28日、第5回…6月11日、第6回…6月25日(変更の可能性あり)

〔会場〕東京・読売日本テレビ文化センター恵比寿センター(JR恵比寿駅ビル「アトレ」7F http://www.ync.ne.jp/ebisu/

〔受講料〕3カ月(6講座)分税込み1万9440円(うち消費税1440円。以後3カ月ごとに更新)

〔設備費〕3カ月分777円
〔読売カルチャー入会金〕税込み5400円(他のよみうりカルチャー講座を受講している場合は不要)※WEB割引用クーポン券を利用すると税込み3240円になります→
http://www.ync.ne.jp/yomicul/coupon.php#coupon-info

〔体験講座〕どんな講義なのか体験してみたいという方には体験講座があります。受講料1回分3240円と設備費1回分126円を申し込みください。なお2回分以上希望の場合は通常の3カ月分申し込みとなります

〔申し込み・問い合わせ〕読売日本テレビ文化センター恵比寿センター(TEL03-3473-5005、担当・小玉)にて受付中。ウェブからの申し込み、詳細はhttps://www.ync.ne.jp/ebisu/kouza/201904-01110004.htm

 

インターネットの普及により、現代では誰もが自分の書いた文章を不特定多数に向けて発信することができます。そうした中、雑誌や新聞、書籍など商用媒体に掲載されるのは“読者にお金を払ってもらう文章”であるのが最大の相違点です。無料で文章や読め、情報が得られる中でお金を出して買ってもらうには、読者という消費者のニーズに応えられるものでなければならず、その大前提としてわかりやすい、伝わりやすいものであるのが必須となります。伝わりやすい文章とは何か? それは読み手の目線、意識にならった書き方です。読者が読みやすいと思える構成、自分本位ではない内容であるのを意識するだけで、ブログの文章とはまったく違うものが書けます。

 

読者に伝えるための押さえどころとしては“リズム感のある文章”“くどくない文章”があげられます。当講座では、そのための具体的な文章構成力を養っていきます。改行ひとつに気を配り、句読点の位置にも意味を持ち、同じ言葉の乱発を避けることで文章にはリズムがつき、スラスラと読まれるようになります。また漢字・かたかな、記号の使い分け方のようなブログレベルでは意識しないテクニックも磨けます。これらの読み手の立場になった上での呼吸、間に基づいた文法を「体感文法」と名づけました。

 

カリキュラムはまず基礎的なルールの理解からスタートし、書いてみてその修正を繰り返すことで文法を身につけていきます。さらに取材実習やインタビュー実習を通じ構成力を養います。学ぶ内容は本格的ですが、カルチャースクールですからみんなで楽しむのを前提にやっていくつもりです。そのためには取材実習にも積極的に参加して、仲間を増やしていってください。

 

主な文章実習課題(抜粋)

・自分が影響を受けたもの
・主張を入れた文章の書き方
・人物紹介
・映画作品紹介
・ネガティヴなことを書く上での注意
・一人称を使わない
・「感動」という言葉を使わずに感動を描く
・追悼文の書き方
・短編小説
・インタビュー実習

・取材実習

 

▲過去におこなった取材実習ではみちのくプロレス後楽園大会を観戦し、ウルトラマンロビンさんに試合後のコメントを聞きました

 

なお、過去に寄せられた質問と回答をFAQとしてまとめましたので参考にしてください。

 

Q プロレスにもスポーツ全般にも興味がありません。そんな人間が受講しても大丈夫なのでしょうか。

A 講義内容については、私自身の経験に基づいていますのでプロレスに寄ったものになると思います。寄ったもの…というのは、具体的な例文や経験したことの事例をあげるさいにそうなるケースが多いことを指します。ただし、プロレスだけでなく音楽や映画、演劇などの見たものを例として出すことも考えられます。どのジャンルに特化しても文章を書く、あるいは書き方を覚える上ではすべて地続きです。文章力を身につけたあとにおこなう取材実習に関してもプロレス観戦に偏るつもりはなく、映画や演劇等を見た上で文章を提出する機会も設けます。これらは希望者によるものですので、自分が体験したいものを選んで参加していただければけっこうです。参加しない実習でも、ほかの受講生が書いて添削を施された文章をいっしょに講義でなぞっていくだけでも、自分自身の力になります。なので、プロレスを見ていなくても学ぶことは実になると思われます。

 

Q 受講を決意してはいるのですが、カルチャースクールや文章を学ぶという経験がないため、紹介文の「実戦派」という単語に軽い恐怖を抱いております。句読点の付け方をなんとかしたい、文章の構成方法がよくわからないレベルの人間でも、問題なく受講できるものなのでしょうか。

A 文章講座に関してはプロレスなどの練習と同じように基礎をしっかりと身につけるのが第一前提であり、最優先される目的と考えております。そして、それが身についたところで初めて“実戦”を目指せるのであり、今回受講いただく皆様は全員、スタートはその基礎作りにあります。ですので、句読点の付け方をなんとかしたい、文章の構成方法がよくわからないという方々向けのものであり、そこでもうワンステップ上にいきたいとの願望が芽生えたら実戦向きのものに着手していただければと思います。実戦よりも、基礎を何度も反復することで完璧に身につけたいと思われる場合は、それでもかまいません。要は、目的に合ったスタンスで受講いただければいいかと思われます。最初の3カ月は、本当に基礎中の基礎…なぜ、そこに句点が来て、ここに読点が来て、ここで改行するのかといった細かく地味ながらも、それでいて本当に文章の足場となることを理屈で覚えていく作業となります。それを経て、自分の文章力に変化が見えて具体的なテーマを立てた上で、さらに伸ばしたいという方のために取材実習等を考えております。

 

Q プロレスマスコミになりたいのですが、その道は拓いていただけるのでしょうか。

A 講座を通じて私から推薦するに値する能力が身についた方で希望される場合は関連メディアに斡旋します。以前に同センターでおこなった講座からは4名がマスコミ関係の仕事に進み、うち1名が週刊プロレスに在籍していました。プロレスにかぎらず独自にマスコミ、ライターを目指す方も文章力と心構えについては合格レベルのものを養えると思われます。

 

Q 文章の書き方以外に役立つことはありますか。

A まず、講座を受けることで他者の話を聞く姿勢が身につきます。お金を払って参加されるわけですから、あらゆるものを吸収していただきたい。そのために集中することで自己を抑え、他者の目線になれます。じつは文章を書く上でこれが非常に重要になってきます。「読者の気持ちになる=相手の気持ち、立場になって考える」が、私の考えるお金をとる文章とそうではない文章の違いだからです。この講座は、文章実習を通じてそうした姿勢を養う点にもうひとつの目的があります。

 

Q 3カ月更新となっていますが、本当に3カ月だけの受講でもいいんですか。

A 講座のカリキュラムとしては前半3カ月で基礎を身につけ、後半3カ月で実習を重ねるのが1つのサイクルであり、それ以上に実習を積み重ねてより腕を磨きたい方は3カ月ごとに更新し、継続していくほどに上達します。なので、本来ならば6カ月単位で募集するところですが、それだと一度に払い込む受講料等が高くなってしまうため3カ月単位にしました。せっかく身につけた基礎をじっさいに試してみて、添削を受けることでさらにブラッシュアップする。その繰り返しで腕は磨かれていくので、最低でも6カ月は続けることをお勧めします。

 

Q 第2回目以降からの途中参加は可能ですか。

A すでにカリキュラムが進んでいますので、それまでの資料をお渡しし、別枠で受けていない分をまとめて説明することはできます。ただし、半分進んでしまうと内容的にそれが難しくなりますので、途中参加は第3回まで可能と考えています。その場合の受講料等に関してはセンターにお問い合わせください。

 

最後に、過去在籍した受講生が課題で書いた講座の紹介文を掲載します。上記にもあります「感動を描く」のテーマのもと提出されたものです。お二人とも、受講をスタートさせた当時は同じ言葉が何度も出てきたり、リズムのない文章でしたが半年ほど地道に努力を重ねた結果、このような文章を書けるようになりました。

 

――――――――――

 

推しは死なない
M(ペンネーム)

 

 アイドルファンを続けるかぎり避

けられない運命がある。“推し”と

の別れだ。

 推しとは、一推しメンバーの略語

である「推しメン」をさらに縮めた

俗語だ。自分が支持、愛好、はては

信仰している対象を指していう。

 推しと会うために会場へ足を運ぶ

ファンは多い。ライブでは声が枯れ

るほどコールし、手の皮がむけても

手拍子を送る。前もって振り付けを

完璧にコピーするなど、下準備も欠

かせない。

 だが、ライブやイベントはいわば

前座だ。彼らにとっての本番は、そ

の後催される物販コーナーである。

 物販はグッズを買うだけの場では

ない。アイドルたちとチェキを撮り、

握手、そのうえ会話までできる特別

な空間だ。このときファンは、推し

に“認知”されんと様々な手を費や

す。ファッションを工夫し、おぼえ

やすい通り名を名乗り、プレゼント

を贈るのだ。

 ファンにとって、推しに認知され

ることは無上の喜びだ。自身の存在

を肯定される、しかも敬愛する人物

からであれば当然だろう。

 そのうえコミュニケーションの瞬

間、ふたりの距離はゼロへ近づく。

物理的に、だけではない。さっきま

でステージの上下で隔てられていた

心理的な障壁が、このときばかりは

消え去るのである。

「まるで神が地上に舞い降り、信者

と直接やりとりするような神秘的な

体験ですよ」とアイドルファン歴10

年、長崎(仮名)は語った。

「神という言葉を出しましたが、実

際にはアイドルは宗教を超えていま

す。だってこんな絶頂の幸福、宗教

では得られませんから」

 不敬な発言だが口調は真剣だった。

この体験が忘れられず、会場に足を

運び続けている、と長崎は言う。

「だけど、やはり宗教に勝てないな、

と思うときもありますよ」

 一転、長崎は口調を変えた。

「というと?」

「神は死なない。しかしアイドルは

“卒業”します。これまで何人の推

しを見送ってきたか…」

 アイドルも、いつかは辞めるとい

うことだ。そしてその時は決まって

突然おとずれる。人気絶頂のさなか

にも、見始めたばかりのときにも。

“死”は気配を感じさせずに忍びよ

り、ファンの心に穴を開けるのだ。

 長崎には忘れられない別れがあっ

た。アイドルユニット「蒼天北斗」

のメンバー、黒見りんね。その名の

通り漆黒の衣装に身を包み、ステー

ジ上からみりんをぶちまけるパフォ

ーマンスで観衆の度肝を抜いた。

 物販ではファンをファンとも思わ

ぬぶっきらぼうで横柄な口調。美形

なのにプロレスラー風のペイントを

常に施す変わり種だった。

「唯一無二。この言葉がこれほど似

合うアイドルは今も昔も現れていま

せん。必死になって話題を見つけ、

物販でなんとか認知されようとあが

きましたよ」

 長崎は遠い目で語る。

「いつだったか──渋谷のライブハ

ウスで、出張土産のカステラを渡し

たんです。以来、彼女は僕を“長崎”

と呼びました。カステラじゃないの

かよ、とツッコミましたけど、そこ

がまた彼女らしくて」

 うれしそうに彼は語る。これがき

っかけで、ツイッター上の名前も長

崎と改め、アイドル仲間にはこの通

り名を再認知させた。

 長崎は足繁くりんねの元に通った。

誕生日の6月19日には毎年ツイッタ

ーでメッセージを送った。

 彼女はSNS上でファンとの交流は

一切しない。だから返信も「いいね」

もつかなかったが、推しに言葉を届

けられるだけで十分だった。

「ただ、それも3年でした」

 忘れもしない2015年7月28日。事

務所がりんねの卒業を発表した。

 その前々回のライブを彼女は欠席

していた。公式な理由は「体調不良」。

それでも翌週のライブでは、いつも

のように長崎を含む観客をみりんま

みれにして喜ばせた。

  ライブ後、ウキウキしながら彼は

物販列に並んでいた。順番が来ると、

先にりんねが声をかけた。「よ、ミリ

オネア長崎」

 毎回みりんを浴びるコアなファン

は、ミリオネアと呼ばれるようにな

っていた。苦笑いをして長崎は文明

堂のカステラ巻を手渡す。

「おお、いつも悪いね」

「風邪でもひいてたの?」

「あー、うん」

 目を合わせずりんねはツーショッ

トチェキにサインを入れる。写真に

は、いつものように無表情の彼女と、

カステラ巻を両手に握った長崎が映

っている。

「お大事にね」

 長崎はチェキを受けとり足早に去

ろうとした。するとりんねが引き留

めた。

「もういいの?」

 そんなふうに言われるのは初めて

だったので彼は驚いた。

「いや、話してもいいけど今日、列

めちゃくちゃ長いし」

 真ん中あたりだった長崎の後ろに

も、数十人が列をなしていた。比類

なき個性派アイドルは、インディー

ズでありながら話題を呼び、今やユ

ニット一番の人気者だった。

 りんねはじっくりファンサービス

をするタイプではないが、だとして

も病み上がりにこれだけの人数に応

じるのは大変だろう。列に並びなが

ら長崎はそう考えていた。

「また次もあるし。そのとき話すよ」

「……いつも、ありがとう」

 りんねは手を差し伸べた。長崎は

笑顔で握り返す。チェキへサインを

入れてもらったあとの、恒例のやり

とりだと思っていた。

 事務所が卒業を発表したのはその

3日後。理由は思いがけないものだ

った。こころの病。

「細かいことはよくわかりませんが、

突然襲ってくる不安や動悸に苛まれ

ていたそうです」

 大勢のファンがツイッターで彼女

へメッセージを送った。けれども長

崎にはできなかった。

「人前に立つ仕事ですから、復帰は

まず無理だと思いました。じゃあこ

れからの人生に幸あれと送ればいい

のか。でも、それも別れを認めるよ

うで言えなくて」

 書いては消しの繰り返しだったと

いう。そして彼は自分を責めた。

「好きだったから、悔しくて。力に

なれない自分も、気づけなかったこ

とも悔しい。なんであんな最後にし

たのか。いつだって別れは突然やっ

てくるとわかっていたはずなのに。

俺、何年アイドルファンしているん

だって…」

 それからの彼は廃人同然だった。

誰の現場にも足を運ばず、アイドル

とは無縁の毎日。仕事をし、飯を喰

うだけの機械になり果てた。

 黒見りんねは卒業から半年後、ツ

イッターのアカウントを消した。長

崎は泣いた。けれどもそれで吹っ切

れた。いまでは彼にも別の推しがい

る。

「根がアイドルファンですから。そ

う簡単には辞められません。だけど

もうあんな気持ちにはなりたくない。

なので推しと会うときは、最大限の

気持ちを伝えるようにしています」

 長崎は一度だけ、ツイッターで黒

見りんねへの思いを綴った。2016年

の6月19日に、恒例の誕生日メッセ

ージを書いたのだ。

 本人のアカウントは消えていたの

で、直接送ったわけではない。それ

でも冒頭に「黒見りんね様」と書き、

近況を知らせ安否を尋ねた。最後に

祝福の言葉とこれまでのお礼を残し

た。たったひとりの、喪の儀式のつ

もりであった。

 ところが数時間後、このメッセー

ジに「いいね」がついた。フォロー

もフォロワー数もいない匿名アカウン

トからだ。「いいね」も自分の書き

込みのみ。いわゆる“捨てアカ”に

見えた。

「彼女なんですか?」

「どうでしょうね、わかりません。

でもなんとなく、そんな確信があり

ました。返信? していませんよ。

したからどうなるものでもないし、

生きていてくれればそれでいいんで

す」

 彼女と長崎の人生が今後も交わる

ことはあるまい。けれども黒見りん

ねはこの世を去ったわけではないの

だ。そのことを実感し、彼の心は満

たされたという。

「神も死なないけど、推しだってそ

う簡単には死にません。だからやっ

ぱり、アイドルは宗教を超えてます

よね」

 そう言って長崎は笑った。

 

――――――――――

 

世界一かわいいミニトマトのすすめ

今井典絵

 

 あるとき、ミニトマトを育てるこ

とになった。ブラック企業を辞めた

ばかりで疲れていたのかもしれない。

 ホームセンターで植物の苗が売ら

れているのを見て、自分も何か育て

てみたくなった。どうせ手間をかけ

るならリターンがほしい。とくれば、

花ではなく野菜か果物。家族に相談

すると、ミニトマトなら簡単だろう

とのことで、さっそく3株購入した。

 苗は黒いポットに植えられており、

10センチにも満たない高さだ。「背丈

より大きくなるから、離して植えた

方がいい」と言われ、半信半疑なが

ら50cm間隔で畑に穴を掘った。

 植え終わったあと、仕上げにぱん

ぱんと地面を叩き、ジョウロで水を

あげた。ふにゃふにゃした白っぽい

葉っぱは、翌日にはしおれていた。

初日からこんなふうで大丈夫だろう

か。心配したが、数日すると畑から

水分を吸って元気になった。

 ゴールデンウィーク前に植えつけ

をおこない、収穫は夏。人と喋りた

い気分でもなし、もの言わぬ相棒は

都合がよい。確かに初心者向けのよ

うで、ときどき水をやり、たまに追

肥をすればぐんぐん育った。膝ほど

の高さになると、父が乾いた竹を使

って支柱を立ててくれた。

 しばらくして、木でいうところの

幹と枝の間から、小さな脇芽が生え

てきた。これを残しておくと、栄養

が取られて発育が悪くなるらしいの

で、つまんで捨てる。大きくなって

しまったものは、気がつけば父が畑

に植えており、なんとそのまま下か

ら根が出て成長し始めた。ちゃっか

りしている。もちろん、こちらにも

水をやった。

 そういえば、トマトが苦手な人は

あの青臭さが嫌だそうだが、苗の段

階ですでに濃いにおいがする。脇芽

を取るためザラザラした茎にさわる

と、ハンドソープで洗わなければ取

れない。都会へ戻ってから、自分の

指が無臭であることに田舎との距離

を感じ、一抹の心細さを覚えた。

 都会といえば、このころ私は大学

院進学のために予備校へ通っていた。

週4日は下宿に泊まり、残りの3日

は実家へ戻るという生活だ。

 帰省中は、朝起きるとまずミニト

マトの様子を見に行く。無事成長し

たのはよかったが、あまりに伸び続

けるので、次第に怖くなってきた。

「今の身長? 165cm。もうすぐお兄

ちゃんを追い抜くよ」

「いやぁ、どうかな」

 10代のころ、そんな会話をした思

い出が頭をよぎる。なぜ兄が微妙な

笑みを浮かべたのか謎だったが、気

持ちの一端がようやく理解できた。

大きくなるのは大変嬉しいが、自分

を越えられると若干寂しいものだ。

 ミニトマトの成長期は続き、とう

とう私の身長を超えて2mほどにも

なった。自重で倒れるのを防ぐため、

紐で支柱へくくりつけながら、青い

実が鈴なりになっているのを発見し

て、ニヤニヤが止まらなかった。

 しかし、敵は収穫目前にやってき

た。台風である。

 朝、畑に行って愕然とした。空へ

向かってまっすぐ伸びていたミニト

マトが、途中でぽっきり折れて逆U

字型になっている。かろうじてまっ

ぷたつとまではいかないが、昨日ま

で自分の顔と同じ高さだった葉が、

足首あたりにあった。

 ショックだった。実こそまだ元気

で、一房がずっしりと重かったが、

しぼむのも時間の問題だと思った。

「台風で折れちゃったよ」

 父に愚痴ると、こんな返事が来た。

「ミニトマトは強いから、たぶんそ

のままくっつくよ」

 そんなわけがない。こうなると散

歩中、よその畑に植わっているトマ

トを目にするのさえつらかった。

 タイミングの悪いことに、ちょう

どこのころ茨城県龍ケ崎市で友人の

結婚式があった。披露宴の食事はト

マト尽くし。特産品がふんだんに使

われた献立を組んだのは、地元で公

務員をしている新郎新婦だという。

温かいスープに入れたり、凍らせて

シャーベットにしたり、さまざまな

状態で運ばれてきた。

 ご祝儀を包んだから、このトマト

の値段は3万円か――。卑しいこと

まで考えてしまう。収入のない身に

は、正直言って痛い額だ。幸せいっ

ぱいのふたりに罪はないが、自分に

余裕がないときに、心から他人を祝

福するのは難しい場合もある。

 3時間かけて帰宅すると、家族が

私を見て「ミニトマトがまた伸びて

きたよ」と言った。いやいや、まさ

か。靴擦れができた足を長靴に突っ

込んで畑へ向かう。

 そのまさかだった。一度折れたは

ずの茎は、N字型を描いてまた上を

目指し始めていた。なんという強引

さ。ちゃっかりしているのは脇芽だ

けではなかったのだ。

 数日経ち、何事もなかったかのよ

うに実が赤くなった。だがせっかく

だから、完熟の状態になってからも

ぎたい。何日も待ち、やっとひとつ

めを手に取った。

 ヘタのすぐ上の細い茎は関節のよ

うになっていて、反対方向に押せば

すぐ切り離せる。目の前まで掲げて

しげしげと眺めた。びっくりするほ

ど真っ赤だ。何個か収穫するうちに、

なぜか身震いするほど興奮してきた。

 そのとき、一部のアニメファンの

間で、推しキャラに対して「世界一

かわいいよ」と声をかけるのがお約

束だった。それをふと思い出し「な

んてしっくりくる言葉なんだ」と衝

撃を受けた。

 ――世界一かわいいよ!

 いとおしげな笑みを浮かべながら

野菜を収穫する女は、さぞかし不気

味だったことだろう。けれど、どう

しても抑えられない。採れたての実

を井戸水で洗うと、凹凸ひとつない

表皮に透明なしずくがつき、衝動

のままに何枚も写真を撮った。レス

トランで料理を撮影するときはアプ

リで加工を加えるが、今回はそのま

まで充分だと思った。

 夜になり、いよいよ我が”推し”

を食べる瞬間が訪れた。まだみずみ

ずしいヘタを取り、口に運ぶ。プチ

ッと皮を噛み切ると、甘酸っぱい汁

が溢れ出した。しっかり唇を結んで

いないと飛び出してしまう。

 とにかく、皮の食感が市販のもの

とはまるで違った。弾力があり、立

ち昇るにおいに野性味すら感じる。

私が作ったミニトマトはなんてかわ

いいのだろう。生命だ。現時点では

何一つ社会に貢献していない無職の

自分が、生命を作り出すことができ

たのだ。驚きと喜びを胸に夕食を終

えた。

 結局、熟す前に風雨で落ちてしま

ったものもあったが、翌年になると

そこから新たな芽が出てきて実をつ

けた。もし、仕事や学校を少しお休

み中の人がいれば、ミニトマト栽培

をおすすめしたい。世界一の命を生

み出す経験は、不思議なまでに「生

きているっていいかも」と実感でき

るはずだ。