連続ツイート2571回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


天安門事件のとき、私はNHKの生中継で見ていたけれども、たいへんな事態だった。あのような惨劇は決して忘れてはいけないし、なかったことにするというのは、とんでもないことである。


天安門事件の前、中国でも民主化の動きがあって、学生たちを中心とする運動、要求に対して、指導部の中にも同調する雰囲気があった。あのとき、中国がどちらに行くのかは、ほんとうにわからなかった。結局、民主化、自由化を進める側よりも、強権で体制維持をする側が勝ってしまった。


あの時、中国が、もし、民主化の方に行っていたら、どうなっていたろう。普遍的な価値が大切にされる、もうひとつの国になっていたろうか。天安門を力で弾圧する側が勝ってしまったために、中国は、世界の中でも、化石のように全体主義的な価値観が支配する、特殊な国、エリアになってしまった。


天安門事件の弾圧の後、中国の急速な経済発展があったから、実際的な視点から、中国の体制が異質なもの、普遍的な価値からは遠いものであることをひとびとは忘れていた、というか忘れたことにしていたと思うけれども、「部屋の中の象」のように、天安門事件とその記憶は残り続けている。


今の中国の指導部は、天安門事件の弾圧の上に成り立っている。中国の経済や社会の発展はすばらしいことだけれども、「部屋の中の象」である天安門事件の記憶、及びその抑圧は、権力中枢にとっては限りない後ろめたさだろう。だからこそ、ムキになる。人間は後ろめたいことは徹底して否定するものだ。


これからも、中国が発展し、また、日本もともに平和的に繁栄していきたいと思うけれども、台湾や香港のことを考えても、中国が、天安門事件という「部屋の中の象」を抑圧しようとすればするほど、対外的には持続不可能な自己正当化、強権に出るように思う。その意味で、天安門事件は今も生きている。


以上、連続ツイート2571回「天安門事件は部屋の中の象として今も生きている」をテーマに6つのツイートをお届けしました。

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