連続ツイート2225回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。今朝は、感想です。


議員さんや、議員の候補者さんが、いろいろと不適切な発言をしてその度に炎上したり、謝罪、撤回に追い込まれているけれども、そもそも、議員の選抜のプロセスで、現代社会において大切な問題を見つけてそれについて建設的な議論をするという能力で選抜されていないことに問題があると思う。


議員になるといろいろ面倒だし、ふつうに社会生活をしている中で、なかなか議員になろうとは思わないわけで、そうなると、議員になります、と手を挙げる人はその時点で変わり者、ということになって、そのプールの中から選ぶのはもともと苦しい。


本当は、理を尽くして語ったり、社会問題について鋭い分析をして賛成反対の立場から論じる能力で議員を選べばいいのだけれども、よく考えてみれば私たちは学校教育の中でなにかを議論するという訓練や経験を積んでいないから、他人のそのような能力も評価、判断できない。


いわゆる「ディベート」である必要はなく、学校での学びの中で、さまざまなこことを話し合ったり、論じたりする経験があれば、そのような能力が培われるし、他人のそのような能力についても「目が肥えて」いくと思うのだけれども、そのような機会がないから、議員もそのようなプロセスで選べない。


それで思い出したのが、東大法学部を出たあと、ハーバードのロースクールに留学した経験のある私の友人が、やはり日本から知り合いが、ハーバードの授業で、ずっと議論していて、A説もB説もC説もあるな、それじゃあ、と「正解」がなんなのか言わずに教師が去っていったので驚いていたと言ったこと。


日本の歴史をみると、「弁士中止!」と叫んでいたころの方がかえって議論をしていたんじゃないかとも思える。きちんと立論してアイデアをたたかわせる経験が不足していることが巡って議員の資質の劣化につながっているのではないか。エンタメになっているテレビの討論番組だけでは足りない。


以上、連続ツイート2225回、「議員の資質はなぜ劣化するのか」をテーマに、6つのツイートをお届けしました。

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