今回、NHKの理事に決まった方の一人についていろいろな報道、ネット上のコメントがなされている。


ぼくは思うのだが、「人事」というものは、誰かにつながっているとか、息がかかっているということだけでは予想できないのではないだろうか。


米国でも、共和党の大統領が指名した最高裁判事が後にリベラルな判決をくだすという事例があると聞いている。その逆もあるだろう。


人間というのは案外独立したもので、その理事の方が今後どのようにふるまわれるかはわからないと思う。


また、NHKは公共放送で、それなりの質の高い番組を提供していなければ、結局国民から見放される。


今の時代、テレビがすべてではなくて、ネットにもたくさん情報がある。


仮にある意図をもった、ある傾向の番組作りが行われたとしても、ネットと総合して考えれば、それは単にNHK離れを起こすだけだと思う。


さらに言えば、あってはならないことだけれども、政権に忖度した番組作り、政権側もそのようなかたちでNHKを操作するみたいな事象があったとしたら、それはNHKとともに政権も見放されるというだけのことだと思う。


もちろん、政権に都合のよい番組をNHKがして、NHKや民放しか見ない、ネットに接しない人が影響されるということは可能性としてはあるけれども、そのようなことよりも、そもそもNHKが見てもらえるか、納得して受信料を払ってもらえるかを心配した方がよい時代になっている。


全体として、今回のNHK理事の方の人事についてそれほど騒いでも仕方がないと思う。


そんなことよりも、NHKが良い番組をつくれるか、視聴者に見放されないかの方がよほど大切である。


(クオリア時評)


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