イギリス生活におけるコントラスト効果

 私は、ケンブリッジの街でとりわけ忙しい1週間を送った後、精神が殆どふらふらの状態になったことがあった。1週間の間、太陽が文字通り一度も顔をのぞかせないという、典型的なイギリスの気候のせいで精神が少しおかしくなっていたのかもしれない。あるいは、あまりにも感覚的な刺激が乏しいイギリスの生活の中で、退屈が極まっていたのかもしれない。いずれにせよ、そんなある日の夕暮れ、私は、なんの用事もなく、ぶらぶらとケンブリッジの北の外れにある「真夏の公共地」(Midsummer Commons)という緑地の方に歩いていった。 すると、いつもは暗い「真夏の公共地」の緑地が、何故かぱっとそこだけ花が咲いたように明るいではないか! 暗闇の中の街灯にひきつけられる虫のように明りの方へ歩いていった私が見いだしたのは、大きな円形のテントと、「ベルリンサーカス」という看板であった。私は、何か救いを求めるように、千円の入場料を払って、テントの中に入っていった。
 この時のサーカスの面白さを、私は忘れることはできない。初めて遊園地に連れていってもらった子供のように、私は文字通り目を皿のようにして1時間半のショーを楽しんだ。特に面白かったのは、沢山の小さなプードルが車を押したり、ハードルを飛んだり、後ろ足で立ったりするショーであった。アラブ系? の若者が、上半身裸になって集団体操する出し物もしみじみと面白かったし、空中ブランコやナイフ投げなどのサーカスの「定番」の出し物も、心から楽しむことができた。
 私を死ぬほど笑わせたのは、酒の瓶を持った浮浪者風の酔っ払いが、黒い帽子に警棒というロンドンでよく見かける警官に追いかけられるというショーであった。酔っ払いは、逃げながら時々酒の瓶の
中身(もちろん、水!)を観客に振りまき、それを警官が警笛を鳴らしながら追いかけていくという単純な内容である。しかし、私は腹が痛くなるほど笑った。笑いすぎて、死ぬかと思ったほどである。
 さて、ショーが終り、私はすっかりリフレッシュされてサーカスのテントから出て、「真夏の公共地」からケンブリッジの街に向かう暗がりを歩いていた。ふと我に帰った私は、たった今心から楽しんだショーが、冷静になって考えてみると、それほど質の高いものではなかったということに気がついた。それは、少なくとも、東京の観客だったら、子供騙しと思うような内容だった。それにもかかわらず、私はショーを心から楽しんだ。文字通り、我を忘れて楽しんだのである。
 私の経験は、「英国生活の達人」がイギリスの生活において絶対に理解しておかなければならないことの一つである「コントラスト効果」を示している。すなわち、私の精神は、余りにも「刺激」の少ないイギリスの天候、料理、街の雰囲気に「刺激欠乏症」に陥っていたわけである。そんな時に、明るい光の点ったテントの中で久しぶりに「刺激」に接したので、その「コントラスト」に、本当に心から感動してしまったのだ。
 振り返って考えてみると、日本の大都市、例えば東京のような都市は、あまりにも様々なエンターテインメント、刺激に満ちている。このような状況は、かえって、個々のエンターテインメントの魅力、効果を低減してしまう。イギリスの食事を1週間とり続けたあとの印度料理が涙が出るほどおいしいように、「コントラスト効果」は、本来それほど大したクオリティでないものでも、アプリシエイトできるような精神状態にしてくれる。そして、実際、このような「コントラスト効果」こそが、人生をエンジョイするための素晴らしい知恵なのかもしれないのである。
 そもそも、イギリスという国で生活すること自体が、イギリスを脱出したときの楽しみを最大にするための手段なのかも知れない。すなわち、イギリス人は、より刺激と感覚的歓びに満ちた土地へと旅したときの感激を最大のものにするために、普段の生活をできるだけ刺激の少ないものにしているのである!
 結論。イギリス人は、地中海での二週間のヴァカンスの楽しみを最大のものにするために、わざわざ残りの五十週間をイギリスで過ごす。


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(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)