下の文章は、サンデー毎日 2009年5月31日号に掲載されたものです。

 改めて、西城秀樹さんのくださった素敵な音楽、素敵な時間に感謝するとともに、心から、ご冥福をお祈りします。

 
西城秀樹さん、本当に、ありがとうございました。





 先日、新幹線で京都に向かった。さまざまなことについて勉強し、研鑽を重ねる女性たちが集う「並木グループ」の会合にお招きいただいたのである。50周年の記念の会。熱気にあふれる会場の中、脳のお話をした。

 祝宴の時間となり、宴会場に丸テーブルがたくさん設えられた。京都市長や京都府知事夫妻、千家十職のうち、花活けや柄杓を作って第十三代目となる黒田正玄さん、国際政治学者で京都大学教授の中西寛さんなど、京都らしい華やかな顔ぶれが揃う。

 祝宴が終わって、楽しみにしていた催しものの時間となった。西城秀樹さんの「秀樹オンステージ」が始まったのである。

 西城秀樹さんは1972年に『恋する季節』でデビュー。私はその時9歳だった。『チャンスは一度』、『情熱の嵐』、『ちぎれた愛』など、次々とヒット曲を出した西城さん。瞬く間に押しも押されぬ大スターとなった。

 郷ひろみさん、野口五郎さんとともに「新御三家」と呼ばれた西城さんが好きだった。友達にも、派手なアクションと熱のこもった歌唱のファンが多かった。私の小学校時代は、西城秀樹さんの歌によって彩られたと言ってよい。

 その西城秀樹さんの歌を初めて生で聴く。しかも、私のテーブルは一番前である。司会が「西城秀樹さんです!」と叫び、音楽が鳴り始めた時、全身の神経がざわざわとした。

 登場した西城さんは、私の脳裏のイメージにあるそのままの姿。ご病気もされたと聞くが、そんなことを感じさせない、パワフルなステージだった。会場の人々は、光が点滅するスティックを振りながら次第に熱狂。西城秀樹さんが「秀樹、カンゲキ!」と叫び、雰囲気は最高潮に。アンコールの「ヤングマン」の際には、全員が総立ちで踊った。

 あっという間に終わったステージ。とても楽しかった。西城秀樹さんと主催者の「並木グループ」に心から感謝する。

 終演後、京都の街を歩いた。南座近くの行きつけのバーに向かう道すがら、時の流れの不思議さを思った。

 西城秀樹さんがアイドルとしてデビューした頃、日本の歌謡曲は元気だった。当時小学生だった私は、そのような時代の精神を、空気のように自然に吸って大きくなった。

 当時は歌謡曲を育み、花開かせるさまざまな状況も揃っていた。歌謡界の最高の権威としての「日本レコード大賞」が健在だった。新人賞に対する注目も高く、受賞した女性アイドル歌手が涙にくれるというのも珍しくなかった。

 大晦日には、「日本レコード大賞」からNHKの「紅白歌合戦」にハシゴするというのが人気歌手の一つのステータス・シンボルだった。紅白の司会者が、「今年のレコード大賞に決定しました!」と紹介すると、会場が大いに盛り上がる。歌手としてのキャリアの、まさに最上の時。「今を生きている」という感覚を、視聴者もまた共有した。

 作詞家の役割も大きかった。今や伝説の人と化した阿久悠さん。西城秀樹さんにもたくさんの楽曲を提供していた。ヒット曲は巷の人が誰でも知る存在となり、そのメロディーを子どもから大人まで、誰でも口ずさむことができた。

 お茶の間と、歌手と、メディアの間の調和のとれた関係。当時子どもだった私は、世界というものは最初からそのようなものであり、これからも永遠にそうあり続けるのだと信じていた。

 しかし、もちろん、時は流れる。私が中学三年生の時にテレビ中継の視聴率が50%を越え、人気がピークを迎えたレコード大賞。やがて勢いが衰える。音楽の志向性が多様化する中で、全国民が共通して愛唱するヒットソングも減る。レコード大賞の視聴率は、1990年代に入ると10%台に低迷するようになった。

 同時に、歌手自身が自分で作詞・作曲をするという傾向も強まった。かつてのように、アイドルがデビューし、作詞家、作曲家の先生が指導するというような構図が消えた。日本の音楽自体が大きく変貌していった。

 スターとなる上ではもちろん個人の資質は大きい。それとともに、時代の状況も左右する。さまざまなことが重なりあって「合わせ技」となり、西城秀樹さんや郷ひろみさん、山口百恵さんが生まれた。そのような「スター誕生」の物語は、もはや戻って来ない。

 ある社会の特質が何かということは、内部にいる人たちには案外見えなくて、外からの訪問者にこそ見えると聞く。一つの時代が過ぎ去って初めて、その時代の特質が見えてくる。私が育った昭和の高度経済成長期も、それが遠くなって初めて、その限界も恵みも見えてきた。

 人は、自分の生きてきた時代がそうやって相対化されることに不思議な感慨を覚える。戦争中に青春期を迎えた人には、固有の経験があるだろう。それもまた時代の経過とともに相対化され、歴史の地層の一部となっていく運命にある。

 それでも、記憶し続けていなければならない。「今、ここ」が過去のものになって初めて見えてくる時代の暗黙知のようなものを、言葉にしていかねばならぬ。

 西城秀樹さんの力あふれる歌に、二つのことを教わった。一つは、とにかく覚えていること。もう一つは、「今、ここ」を懸命に生きること。

 私たち人間は結局、戻すことのできぬ時代の流れの中でそれぞれの時を生きるしかない。

 昭和はすっかり遠くなってしまったが、西城秀樹さんが活躍したアイドルの時代の輝きは、私の脳裏にしっかりと刻み込まれて今へとつながる。

(茂木健一郎『文明の星時間』(毎日新聞社)所収)