中心を外さずに。第62回。

歌劇『ローエングリーン』で、白鳥の騎士が見事にテルラムントを倒して勝利しても、その素性をエルザが信じられなくなるというのは、とてもよくできている。

美しく、強く、気高いという、人間の認知の中で強者、権威として認められる要素がすべて満たされていたとしても、その力をもたらしたのが白魔術なのか黒魔術なのかわからないという設定から、すべてのドラマは始まる。

白鳥の騎士は、エルザを見て、その素性を知らなくても信じ、愛する気持ちになったと説得するが、エルザの中に芽生えた疑念は大きく育ってついに破局を迎える。(素性を知らなくても信じ、愛するというのはシェークスピアの『テンペスト』でフェルディナンドがミランダを愛するのと同じ形式だ)

ワグナーの作品においては常にそうであるように、ドラマは寝室の破局で終わっていて、そのあとのグラール語りは心理的展開というよりは、一つの儀式的、しかしだからこそ近代を超えた感銘を与える。


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