このニュース、不覚にも、笑ってしまいました。

本当は、笑っている場合じゃないのですが。。。

お釣りの計算で「数学」履修したことに 

思うのですが、「高校卒業」などの、「資格」をとにかくとりたいとか、形式を追求すると、こんなことになってしまうのではないでしょうか。

「土産物などのお釣りの計算をした」ことが数学の履修になったり、バスの中で外国映画を見て「英語」を履修したことになるというのは、つまり、ほんとうに学ぶつもりが、ないということを意味します。

外国でも、よく、見栄のための学位(vanity degree)を売ったりしている学校が問題になりますが、人間、結局、苦しんで、努力した分しか、身につかないと思うのです。

学ぶとは、苦しむこと、努力すること、その先によろこびがあるものだということを、人生のどこかで学ぶ必要があるように思います。

みなさんは、どう思われますか?