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あまりに素晴らしい記事なので、紹介。私は題名を見て、「ついにきたか」と思った。興奮した。私はネガティブに育ち、そしてポジティブシンキングに大学時代に出会い、現在は、現実直視主義になった。紹介する記事には以下90%賛成だが、一点だけ、間違っていると思う部分がある。

それは

「実際には、食べるものや生活習慣などさほど関係ないと断言してもいいです。」

とある。これは甘い!それは違う!これも一種のポジティブシンキング。

栄養は?精神が全てというのも、また現実を見ていない人の考えである!。睡眠時間が短くても?コンビニ弁当でも?放射能を避けることを考えていて、コンビニ弁当を食べ続けて、倒れた人を知っていますが?

放射能の食べ物をいくら食べても平気?アスパルテーム、アセスファムKを含んだ無糖のものをいくら食べても平気?

米だけ食べてて健康に生きていける?

これは食べ物への冒涜?あるいは、単なる無知。だけが大事というのは、ポジティブシンキングの根底にある。現実を直視するのが大事と言っておきながら、最後にこう書いてあったのはがっかりだった。しかし、それ以外は素晴らしい文書なので、皆様にも読んで頂きたい。

簡単に要約すれば、現実を直視することで病気は治る。ということらしい

当たり前だ。と思うが、これがなかなか難しい。

ただし、プラシーボでもある程度は症状が緩和したり、治ると思う。これは心の働きの1つと思うが、これは単なる思い込みである可能性が高く、これもまたポジティブシンキングで、現実を見ているわけではない。苦しくても、悲しくても、しんどくても、現実を見ること大事。それは数年前から気づいた。いや気づかされた。

自分の魂を大切にする生き方

https://ameblo.jp/kenkoudoujou-20100119/entry-12212360677.html

1年半前にこんな記事を書いていたようである。

私が尊敬する方々の全てが、現実を直視している。

私などよりずっとね。

そんな方々は知識も豊富で、当然思考も明瞭。

知識と思考は相当近いと思う。

多く知っているということは、それだけ多くの考える材料があるからだろう。

私が知っている尊敬する方々は本当にすごい。

何十年たってもおいつけないと思う。

それが現実だ。

というふうに、常日頃から、現実を直視する習慣を身につければ、

病気にはならないのか?いやなるかもしれないが、

そんなときこそ病気の時も現実を直視して、症状を緩和する方法を探しだしたり、

本当の意味での治療ができるのではないか?

今私は姿勢が悪い中でタイプしていて腰が痛くなった。

病気なんてこんな単純なことなのかも?

いやそうでないかも?

観察、情報収集、情報精査、人に聞く等々。

できることは多々あるのに、多くの人は権威を信じ、

医者や専門家を訪ねる。

私ならネットで調べて、詳しい人に聞いて、試すとかするね。

ネットには多くの偉大な人々がいると思う。

それを生かすも殺すも自分次第。

弱いときは、知らない時は頼っていいと思う。

私はそうしてきたし、今もそうしている。

強い人は困った時助けてくれるから。本当に求めるなら。

ただ自分の努力も必要。

何もせずに助かりたいと言われても言われた方は何もできない。

「こうしたほうがいい」とアドバイスされても、

「いやそれはちょっと・・・」とかね。

自分に対する多少の厳しさがあればなんとかなるような。

話がだいぶとんだが、大事なのは現実を直視すること。

だから、希望的観測、思い込み、主観性、ポジティブ、ネガティブに

陥らず、客観的で現実を直視すること。

ということで以下から紹介したい記事です。

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ポジティブ思考が「病気の人たちを殺し続けている」という現実に気づいたその日から

投稿日:2018年4月27日

ポジティブ思考がとても危険である理由

アメリカの医師で「緊張性筋炎症候群(TMS)」の研究者であるジョン.E.サーノ博士の著作についてふれています。はっきりいえば、このイーノ博士の以下の2冊の著作は、健康に関しての考え方の私にとっての「分岐点」でだったともいえます。

極端にいえば、これを上回る「治療の書物」はないです(あくまで私個人の感想です)。

ヒーリング・バックペイン: 腰痛・肩こりの原因と治療

心はなぜ腰痛を選ぶのか ― サーノ博士の心身症治療プログラム

今回はこれらの著作についてはふれないですが、上のリンクはそれぞれアマゾンですので、その書評などで、読まれた方の感じ方はおわかりになるかと思います。世界中で相当な数の人たちが、この理論で痛みや症状から解放されていると感じます。

「症状と心の問題」というものを曖昧ではなく、科学的・医学的に知りたいと思われている方にはとてもいいものだと思います。ただし、大変時間がかることはあると思います。

それでまあ、この著作もそうですが、「人が症状に対峙する場合に何が最も重要なことか」ということは、実はとてもはっきりしているのです。

それは、

「現実から目を背けず、そして自分の心からも眼を背けず、それらを直視する」

ことなのです。

先ほど、「ポジティブ思考」は良くないというようなことを書きましたけれど、起きている現実と、そして自分の心を「直視」しているのなら、それはポジティブであっても悪いことではありません。

しかし、現実としてこの世で言われている「ポジティブ思考」は、「現実からも、自分の本心からも目を背けて、イヤなことを考えることを避けているだけではないのか」と思うことがあるのです。

ふだんの生活ではそれでもいいのかもしれませんが、病気の場合は・・・。

たとえば・・・自分ではうまく例えができないですので、また本から抜粋させていただきますが、カナダのガボーテ・マテという医師が今から 15年くらい前に記した『身体が「ノー」と言うとき ― 抑圧された感情の代価』という本の中の「ネガティブ思考の力」という章から以下の部分をご紹介させていただこうと思います。

ガボール・マテ著『身体が「ノー」と言うとき抑圧された感情の代価』(2003年)より

健康への道をたどる第一歩は、いわゆるポジティブな考え方に固執しないことである。

私は緩和ケアの仕事をしていたときに、がんにかかったことに当惑し、しょんぼりしている人を嫌というほど見てきた。「私はいつもポジティブな気持ちでいたんですよ」と四十代後半のある男性は私に言ったものだ。

「悲観的な気持ちになったことは一度もない。なのにどうして、私ががんにかからなければいけないんでしょう」

救いがたい楽観主義への薬として、私はネガティブ思考の効用を勧めてきた。(略)「私が本当に役立つと信じているのは”思考”の力です」。

”思考”という言葉に「ポジティブ」という形容詞をつけたとたん、現実のうちの「ネガティブ」だと思われる部分は排除されてしまう。これはポジティブ思考を信じる人のほとんどに見られる現象である。

本当のポジティブ思考は、あらゆる現実を認めるところから始まる。そこにいたるには、たとえどんな真実が出てこようとそれを直視できるという、自分に対する信頼感が必要なのである。

無理やり楽観主義になろうとするのは、不安に直面しないために不安を封じ込めるひとつの方法である。(*裏にはネガディブが隠れている。ポジティブで仮面をしただけで実際はネガティブ!全くポジティブじゃない!)その種のポジティブ思考は、傷ついた子どもが身につける対処パターンである。それに気づかず、傷ついたまま大人になった人は、子どものころの自己防衛手段のなごりを一生持ち続けることになる。

病気は一対一になったふたつの問題を突きつける。ひとつは、その病気は過去と現在について何を語ろうとしているのかということ。もうひとつはこれから先、何が助けになるのかということである。

多くの取り組みは、治療にかかわる一対の問いの後者にだけ目を向け、そもそも何が病気をもたらしたのかをろくに考えようとしない。本や雑誌、テレビやラジオにも、そのような「ポジティブ」思考の勧めは数多く見られる。

しかし、治療のためにはネガティブに考える勇気を奮い起こさなければならない。

 

この前後も含めて、この著作には非常に納得できることが書かれてあるのですけれど、「ポジティブ思考」がなぜ良くないかというのは、その多くが、「現実を直視しないようになるから」

です。

これは現在では、患者本人にも治療者(主に医者)にもどちらにも言えるかと思います。

つまり、「原因(自分の心や人間関係、家族関係など)を考え尽くすことはせずに、ただ治しましょう」と。

上に抜粋したガボーテ・マテ医師の文章の中に、

> 多くの取り組みは、治療にかかわる一対の問いの後者にだけ目を向け

とある部分はわかりにくいかと思いますが、簡単に書きますと、

「患者も医者も『どう治しましょうか』ということだけを考えて、『なぜこのようになったか』を考えない」

ということです。

まあ、現実的に考えて、お医者さんがわざわざ「どうして、あなたはこのように(この病気や症状に)なったか」を考えることはないでしょうから、治療のほうはともかく、「原因」を考えられるのは病気になった本人だけだと思うのです。

ところが、ポジティブ思考は、悪いところを蒸し返さないので、「それをしなくなる」のです。

良い部分だけを見て悪い部分を考えないようにしていると、「病気になった自分の中の本質の部分」は決して見えてこないはずです。

何しろ、すでに「病気」という形でポジティブではないものが噴出しているわけです。それをどうポジティブだけで解決できるというのか。

 

これはたとえば・・・さすがに具体的な例を出すことはできませんが、これまで、数多くの著名人や有名人の方が、たとえばガンのような重い病気になったことが、頻繁に報じられます。

治った方もいれば、治らなかった方もいます。再発を繰り返す方もいます。

そういう方々の中で、病気になっても「自分に対していつもポジティブに」考えていた人たちの、

・生存率

・再発率

はどうだったかという話も、個人的に調べていたことがあります。

自分の病気に対して、「根拠のない前向きさ」をもったり、「いつも明るい態度で周囲に振る舞っていたり」、「根拠のない希望を持っていたり」するようなポジティブな思考だった方々の多くがどのようになったか。

まあ、しかし実際の例はともかくとして、今の世の中では「ポジティブ思考」というのが、ともすれば、「自分のイヤな部分」を見ないで生きるということと置き換わってしまっているような気がするのです。

最初のほうに例にあげたサーノ博士は、自分の潜在意識に痛みや症状の原因があるということを医学的メカニズムと共に説明しているのですが、しかし、その原因を自分で探り出す行為は「とても苦しい」ものです。

(*エスの本に近い。エスの本―無意識の探究

1991/11

ゲオルク グロデック

**))

なので、誰でもそれはイヤなのです。自分で考えたくもない「心の奥に仕舞ったままにしておきたい部分」を蒸し返すことは。

しかし、たいていは、その「見たくない自分の心」が病気や症状の原因の一端となっているということには、今では完全にそれを否定できる医学者はいません。

 

さきほどリンクしました 2016年の過去記事、

「私は素晴らしい世界に生まれて、その世界に生きている」

の中に、日本で最初のヨガの行者であり、確かな賢人である中村天風さんの語録を抜粋しています。

そこには、以下のようにあります。

中村天風さんの語録より

忘れてはならない私の厳重な注意は、「できるだけ平素、幸福の方面から人生を考えよ」ということである。人が何といおうと、「俺は幸福だ!」 憂いことがあったら、「ああ、楽しい!」 悲しいことがあったら、「ああ、嬉しい!」

こうして心を張り替えてみなさい。

 

この強烈なポジティブの概念そのものは間違っていないかもしれません。しかし、

> 人が何といおうと、「俺は幸福だ!」 憂いことがあったら、「ああ、楽しい!」 悲しいことがあったら、「ああ、嬉しい!」

の、「憂いこと」「悲しいこと」を「なかったことにしてしはいけない」ということです。それらの「イヤな心の中のもの」は、確かに「あった」し、「これからも心の中にあり続ける」のです。

 

これらに対しての直視をしなければ、それは最終的に自分を追い込むことになる材料となって自分の心の中に巣食うはずです。

それは次に「症状」や「病気」として芽吹くというのが、今の最先端の医学のひとつだと私は認識しています。

実際には、食べるものや生活習慣などさほど関係ないと断言してもいいです。

(*これは甘い!栄養は?精神が全てというのも、また現実を見ていない人の考えである!。睡眠時間が短くても?コンビニ弁当でも?放射能を避けることを考えていて、コンビニ弁当を食べ続けて、倒れた人を知っていますが?)

 

 

人間の身体のほうに噴出してくるものを作り出しているのは、基本的に「心」です。

原因不明の痛みはもちろん、感染症や皮膚炎でさえも。

 

そういえば、最初のほうに書きました以下の部分に戻りますが、先ほど、

> めまいに感謝しています。

と書きました。

このような「ポジティブな表現」は、「治る前に言ってはいけない」です。

それはどこかウソになり、自分の心にさらに「見たくないウソの部分を積み重ねる」ことになります。

「ガンに感謝しています」という言葉も同じかと思います。

これについては、以前、『幸せはガンがくれた:心が治した12人の記録』という著作などについてふれた、

・ 無視され続けたガンの自然退縮に見る「病気を治せるのは自分だけ」という真実と「言葉の重要性」
 In Deep 2015/08/07

など何度か取りあげたことがあります。

 

ちょっと混沌としてきましたが、ふと思えば、私自身も風邪を引いていたことを思い出しまして、今回はこのあたりまでとさせていただきます。

ちなみに、私個人の健康の観念については、この3年くらいで飛躍的に変化することができて、それは嬉しいですけれど、それは決して「長生きするためのものではない」ということは書いておきたいと思います。

そういう意味では、すでに老後に入ったと自覚している私は、今後「生」と「死」をどこまで自分で決定するかという問題にも取りかかることにもなっていくようには思います。

 

https://indeep.jp/why-positive-thinking-is-alway-killing-us/