漆黒のダイエッターZ 〜栄光の男にゃなれない〜 [ spin off ] -2ページ目

漆黒のダイエッターZ 〜栄光の男にゃなれない〜 [ spin off ]

毎日のウォーキング記録、摂取したカロリーをメインに、日々の出来事、タイムリーに感じた事をUPしています。カラオケも好きなので毎日ウォーキングソングを変えています。食べ物も好きなのでミニコーナーで色々紹介しています。基本的にはどうでもいいブログです。

昨夜、叔父さんが享年74歳で他界したようだ。昨日も朝から晩までハードスケジュールで、20時半には爆睡モードだった。なので、実家の親父からの23時前の電話では気づかずに寝ていた。真夜中にトイレに目が覚めてiPhoneへの親父からのショートメールを見て気づいた。今年の5月まで元気に親父と山へ山菜採りに行っていたらしいが6月に入り急に体調崩し入院したようだ。9月に帰省した際に病院に見舞いには行ってまた来るねと言う感じだった。意識は朦朧としていたけど、多分俺が見舞いに行った事はわかってくれただろう。それが最後の別れになった。親父の実家はいろいろあって、親父と叔父さんの父親は違う。要するに、親父方の爺ちゃんは血は繋がっていない爺ちゃんだった。なので、俺もあまり可愛がってもらったと言う感覚もない。叔父さんは戸籍上は次男だが名前は「一夫」だった。昔で言えば長男につける名前だろう。その点からも親父は婆ちゃんの連れ子と言う扱いだったのがわかる。見た事はないが、いろいろ連れ子と言う事でいい思いはしなかったのだろう。親父も爺ちゃんの顔は見たことがないらしい。言わば、親父は現代で言うシングルマザーに生まれた子供だったのかもしれない。叔父さんとは異父兄弟の関係だった。ただ、兄弟愛は感じていた。親父はお袋と出会い、早々に実家を出てお袋と一緒に生活を始めたと聞いたことがある。居心地の悪い実家よりも新しい生活を選んだのだろう。リヤカー1つで引っ越しをしたと言うことを聞いたことがある。お袋は6人兄弟の長女で爺ちゃんは若くして他界したので、婆ちゃんがひとりで、6人の子供を育ててきた。なので、お袋も叔父さんも叔母さんもそれほど裕福な生活ではなかったのだろう。若い頃から家計を助けるためにアルバイトをしたりしていたと言うのは聞いた。お袋が社会人になって、これから実家の家計を応援するようになった頃に、自分が嫁にもらってしまったことについては、親父も申し訳ないと思っていたらしく、お袋の実家には実の家族のように付き合っていたと聞いた。婆ちゃんも苦労がたたってか50代で他界した。その時から親父とお袋はお袋の実家に残された叔父さん叔母さんたちの親代わりとなった。まだ結婚していなかった20代の叔父さん2人は結婚するまで一緒に暮らしていたので、一人っ子の俺としては、歳の離れた実の兄貴が2人いるようで楽しかった。少し話は脱線したが、亡くなった親父方の叔父さんは長く石油関係の仕事をしていたので東日本大震災の時もガソリンを買えるルートを教えてくれたので助かった。ただ叔父さんの家は1階が全て津波で浸水してしまったので復興まで俺の実家に避難していた。おそらく避難所生活よりは良かっただろう。叔父さんは転職をして、以前の石油関係の仕事のかと思うがタンカーの関係の仕事もしていたので沖縄などに入港することもあり、よく沖縄土産をもらった。後は、東日本大震災の前までは被災地である女川から殻付ホヤを沢山買って自宅でさばいてジップロックに入れて冷凍保存したりしていてよく振る舞ってくれた。ホヤをさばく時もこだわっていて、漁師さんにお願いをして、沖の綺麗な海水をポリタンクでもらい、水道水を使わずに、海水でホヤを捌い洗っていた。お盆などに顔を出すと殻付きの冷凍ホヤを半解凍で食べさせてくれたり、蒸しホヤにしたり、炊き込みご飯にしたり、お吸い物にしたりとホヤのフルコースを出してくれた。個人的には、若い頃は盆暮れぐらいしか会えなかったけども、お袋が他界して実家の親父との関係がギクシャクしていたときに叔父さんがクッション役になって関係修復をしてくれた。おそらく兄弟である親父の性格を理解していて俺に忠告してくれたのだろう。海産物だけではなく山菜鳥などが上手だった叔父さんなので季節の食材をよく届けてくれた。実家の親父も今年で79歳。18年前にお袋に先立たれても家に閉じこもることなく、ボランティアや地域活動やスポーツなどをして元気に暮らしている。正直9月に叔父さんのお見舞いに行った時は、病床ではあったけども親父が元気で若々しく見えた。叔父さんはタバコが大好きで止める気はなかったようだ。結果、肺がんがきっかけで他界した。俺もヘビースモーカーだったけど、41歳の時に禁煙をした。それから13年、1度もタバコを吸った事は無い。よくタバコは止められないと言う人やニコチンパッドのような治療で止める人もいると聞くが、俺は止めると決めた日から止めた。俺は「継続は力なり」と言うことを座右の銘にしている。物事続けると言うところに価値観を見出しているが、目線を変えると「禁煙を継続している」のかもしれない。ただ常に吸いたいと言う気持ちもなく、マナーの悪い喫煙者を軽蔑しているし、ヤニ臭さは許せないし、タバコが吸える飲食店には基本行かない。おそらく叔父さんもタバコは体に悪いという事は知っていただろうし、肺がんのリスクは高いとわかっていて、生涯吸い続けたのだろう。多分苦しい思いをしたと思うけど、4ヶ月間の苦しみだったのかもしれない。好きなことをやって死ぬことがいいのか改めて考えると複雑な気持ちになる。俺はタバコやパチンコなどのギャンブルはやめた。今残っている。趣味とすれば、競技麻雀や映画鑑賞やカラオケなど。毎朝のウォーキングなどは趣味ではなくルーティーンになっている。そう考えると体には悪くはない趣味だけど、止める気になれば止められなくもない趣味だなと。後は、食べ歩きが最も大きな趣味かもしれないが、食べ歩きは、もしかすると体に良くないかもしれない。それをやめろと言われれば、止められなくもないのだろうけど、仕事のストレスの発散は美味しい物を食べて良く寝ると言うことを主眼に置いているので、おそらくストレスが溜まるだろう。アルコールは、休日の朝以外は住まいでは飲まない。1人で家飲みするほど酒は好きではない。美味しい料理があってこそペアリングされたお酒を飲みたい。質素に生きれば、健康診断の数値も良くなるだろうし、長生きできるのかもしれない。ただ長生きをして楽しい未来が待っているかと言うとそんな気もしない。高い年金を搾取されているので貰わずに死ぬのは頭にくるけど、俺もそれほど長生きはできないような感じはしている。お袋に似ていたら短命だろうし、親父に似ていたら比較的長生きかもしれない。今の状態からすれば長生きはできないかな。今の時代、平均寿命は、女性が87.14歳、男性が81.09歳と言われている。「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」を示す健康寿命。日常生活が制限されるとは、病気で入院をしたり、介護を必要としたりなど、自立して元気に生活することができない状態のこと。男性が72.68歳、女性が75.38歳と言われている。そう考えると他界した叔父さんは、平均寿命には届かなかったが、健康寿命よりは長く生きられたのかもしれない。タバコを吸わなければ、健康寿命は伸びたのかもしれない。ただそれは個人が判断する話だから本人が良ければそれで良かったのだろう。改めて考えると、実家の親父も見た目は若々しく頑張っているが、既に健康寿命も過ぎて、平均寿命もあと2年ぐらいとなっている。今回の自分の弟の他界で疲れたり、気を落としたりしないでくれればいいなと願っている。今朝電話で話したけど叔父さんは苦しまずに逝ったようだ。。親父も元気そうで大丈夫そうだったけど…空元気かも知れないので「あまり無理しない様に」とは伝えた。。俺ももう少し東京で今のプロジェクトを頑張らなくてはならないと決めているから。。会社から不要論が出れば別だけど。。俺はかかりつけの先生から、健康でないと死ぬ時に苦しむので、健康で長生きして老衰で死ぬことが一番苦しまずに死ねると言われる。長生きできる人は生まれ持った遺伝的なものもあるだろうし、おそらく食生活が質素で普段からヘルスケアをしっかりしている人だと思う。最近、歳になって暴飲暴食はしなくなった。というか出来なくなった。ただ代謝が悪くなっているので、食べる量や食べるものの質を考えないと体に蓄積していくのだろう。見方を変えると代謝が悪くなり、老化が進んでいけば、体力も食欲も気力も減退していくのだろう。なので今回他界した叔父さんの年齢や健康寿命の72歳までは、残り18年しかないことを改めて気づかされる。定年まで6年。健康であり、続けて体力と気力が残っていれば65歳までは雇用延長となる。俺たちの時代はそれから先も働くのだろうか。大金持ちだったら早めにドロップアウトをして自分の好きなことをして死んでいきたい。。貧乏暇なしという言葉があるように貧乏は死ぬまで貧乏なのかもしれない。そう考えると残り長くて、18年をどうやって生きるべきか、改めて考えさせられた。やはり体が動くちわ思い出を沢山作りたいなと。体が動かなくなってからやっておきたかったという事が少しでも少なくなるように思い立ったら行動に移そうと思う。1年に1個思い出を作ったとしても、18個しかできない。昨日も丸一日、悲惨なほどのスケジュールで疲弊した。会社の業務量の偏りについて、怒りをぶつける相手もいない。だから、会社の人間を無能で非協力的な存在であると軽蔑するしかない。怠け者を見ていると存在否定をしないとイライラしてしょうがない。もっと業務量の偏りを改善してくれれば、心にも余裕が出るだろうけど、エグいほどの仕事を押し付けられている。昨日もメインで進めなければならないプロジェクトの他に既存案件の膿がまた噴出してきた。今の部署に来てから、前任者や過去の担当者の負の遺産ばかり出てきて、尻拭いばかりさせられている。大体誰がいい加減なことをしていたかは見当が付く。そんな人間が会社では偉くなって評価されたりしている。そう考えると、やはりうちの会社が腐敗したのは人事制度そのものなんだろうなと思う。また話は脱線したが、昨夜の叔父さんの他界でも感じたけど、9月に帰省したときにバタバタしていたけど、お見舞いに行って変わり果ててはいたけど、最後に顔が見れた事はよかったなと思った。本当にやるべき事は思い立ったら行動に移すべきだと思った。次に帰省したときにお見舞いに行くと先送りにしていたら、生きているうち、おじさんのお見舞いはできなかったかもしれない。自分のことだけでもなく、やはり思い立ったら行動に移さないと時間は過ぎてしまうと言うところを理解しなければならないと感じた。4ヶ月間闘病で大変だったかもしれないけど、いろいろ助けてくれたり、アドバイスをしてくれて有難う。。安らかに眠ってください。

今朝のウォーキングソングは、美空ひばりの「川の流れのように」をセレクト。♪〜生きることは〜旅すること〜終わりのない〜この道〜愛する人〜そばに連れて〜夢探しながら〜雨に降られて〜ぬかるんだ道でも〜いつかはまた〜晴れる日が来るから〜ああ川の流れのように〜おだやかに〜この身をまかせていたい〜ああ川の流れのように〜移りゆく〜季節雪どけを〜待ちながら〜♪。くぅ〜。懐かしいですね。確かにまた晴れる日が来るかなぁ。。いつか幸せになりたい。。

今朝の天気は、曇り。路面が濡れていたので、明け方雨が降ったのかもしれませんね。早朝は21℃で秋らしい気候でした。日中は昨日から一気に6℃も上がるらしく29℃になるとか。明日はまた気温は下がるようだけど東京はやっぱりもう少し暑いね。今日は午前中、対面式のスケジュールがないので在宅勤務にして溜まっている。web研修を少し進めたいと思う。昨日はまたやたらとエグいスケジュールで午後は重たい会議が4つぐらい続いた。。忙しく仕事をしていると仕事しているふりをしている怠け者どもをついつい軽蔑してしまう。まぁ思考回路としては、自分は自分と思っているのだろう。そんな人間が職場内のコミュニケーション活性などできるわけがない。要するに、無能で仕事を与えられない人間がのびのび悠々自適に生きている会社。廃車にしてみれば、よくワークライフバランスを取れていますねと言う優等生なのかもしれない。そんな会社になったから人材育成をせずに仕事ができる人間に仕事を偏らせた。どんどんこの格差が広がり、最後は分断するだろう。最近の若い世代は、まともに指導や教育してくれない。上司に不満を持っていると聞く。ハラスメントなどに送るようになり指導もできなくなった。指導すべき立場の人間がズル賢く働くようになったので会社からいなくなったほうがいいと思う。本当に給料泥棒しかいないね。もう怠け者は、相手にせずにやる気のある少数精鋭乗り切る時代だと言うことを周りに仕出しめるしかない。その少数精鋭が会社が嫌になり、次々と流出していかないようにしていったほうがいいと思いますけどね。じゃないと生者だけがはびこる会社になりますよね。。わかっているくせに直そうともしないからね。とりあえずは周りには構わず会社人としてやらやらねばならぬことを遂行しようと思います。組織長が若手や部下の教育をまともにしていないのだから終わってますよね。。今日も忙しくなりそうです。極力早く寝よう。今日も朝のルーティンが出来た事に感謝しましょ。Still alive。。

朝のウォーキングは、1時間11分。
朝食は、886kcal。
昼食は、1,339kcal。
夕食は、1,500kcal。


「漆黒のメモ」3922目は「ゴルゴンゾーラと蜂蜜のピザです。昨日に引き続き、2021年10月にコロナ禍で営業している店が少ない中で営業してくれていた洋風居酒屋に伺った際に頂いたお薦めメニューからのUPです。

この日、6品目に頂いたのは「ゴルゴンゾーラと蜂蜜のピザ」です。個人的にピザはブルーチーズが入っていないと食べる気はしない。マルゲリータ、シーフード、ミックスなどわけのわからないピザがあるが、基本食べない。食べるのはクワトロフォルマッジかゴルゴンゾーラのピザ。それに蜂蜜をかけて食べるのが1番うまいと俺は思っている。チェーン店の洋風居酒屋さんだけど定番メニューにゴルゴンゾーラと蜂蜜のピザがあるなんてありがたいね。ついつい酒が進んでしまいました。良い赤ワインがあったらよかったのになぁ。

この日、6種類目に頂いたのはメガハイボール④」です。ヒューガルデンは2杯にしてハイボールに切り替えました。とりあえずはメガハイボール4杯目です。今日はここまで。続きはまた明日。to be continued!  


♪〜雨に降られて〜ぬかるんだ道でも〜いつかはまた〜晴れる日が来るから〜ああ川の流れのように〜おだやかに〜この身をまかせていたい〜ああ川の流れのように〜移りゆく〜季節雪どけを〜待ちながら〜♪