引き続き、『モリー先生との火曜日』から学んだことを書こうと思う。


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第4火曜日:死について


この世に唯一絶対的なことがあるとすれば、それは、


「私たちの誰もが最終的には死ぬ」


ということだろう。


どんなに名声を持っていても、地位が高くても、お金持ちでも、貧乏でも、最高に幸せな人でも、最後には死ぬ。

これは絶対に動かない「事実」だ。


その「死」から目をそむけて生きているが、それは誰にも避けられない。


モリー先生は、死が迫っている中、死についてこう語っている。


「誰もいずれ死ぬことをほんとうに信じてはいない。


なぜかっていうと、みんなまるで夢遊病者なんだな。われわれはこの世界のことを心底から十分に体験していない。それは半分眠っているから。やらなければいけないと思っていることを無反省にやっているだけだから。


いずれ死ぬことを認識すれば、あらゆることについて見方ががらっと変わるよ。」



私たちは、まるで、永遠に生きるかのように生きてしまい、急に死が目の前に迫ってくると、慌ててパニックになる。


以前、15歳のときに、同い歳の従兄弟が死んだ話を書いたが、そのときに真剣に「死」について考えた。


「人はなぜ死ぬのだろう?」


「人は死んだらどこに行くのだろう?」


「必ず人は死ななければならないとしたら、何のために人は生きるのか?」


中学の頃か二世紀後半ローマ皇帝となったマルクス・アウレリウスの哲学書などに興味を引かれ読んでいたが、後に聖書を読み始め、聖書の中にそれらの答えを見つけ出すことになる。


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クリスチャンになった今、死は「恐れるべきもの」ではなく、「楽しみなもの」となった。


それは、死がすべての終わりではなく、すべての始まりだと知っているからだ。


使途パウロは、新約聖書の中でこう言っている。


「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。 私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。 」(ピリピ1:21、22)


一度興味があったら、聖書を読むことをお勧めする。


死んで天国に行けることが分かっていても、死んでしまったら、この地上での生活は終わってしまうことには変わりはない。


死が迫ってきてから死について考えるのでは遅いのだ。


モリー先生は言う、


「いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる」


死を必要以上に恐れずに、死について学び、死を見つめて生きたい。