引き続き、『モリー先生との火曜日』から学んだことを書こうと思う。


普及版 モリー先生との火曜日/ミッチ・アルボム
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講義内容:愛について


モリー先生と再会するまで、著者のミッチは仕事中心の自己中心的な(金中心の)生活をしていた。


そんなミッチに対して、モリー先生は言う、


「多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。自分では大事なことのように思ってあれこれ忙しげに立ち働いているけれども、実は半分寝ているようなものだ。


間違ったものを追いかけているからそうなる。人生に意味を与える道は、人を愛すること。自分の周囲の社会のために尽くすこと。自分に目的と意味を与えてくれるものを創り出すこと。]


死を前にすると、人はホンネを出す。嘘をついても仕方がないからだ。死を前にしたモリー先生の口から出てきた言葉は重い。



「人生に意味を与える道は、人を愛すること。」と言い切っている。



私はクリスチャンなので、毎日聖書を読むようにしている。


今朝読んだ箇所は、まさにこの「愛について」だった。


結婚式などで読まれることも多いので、知っている人もいるだろうと思うが、引用してみたい。


(引用)


愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。


愛は決して絶えることがありません。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。愛を追い求めなさい。(第1コリント 13:4-8, 13-14:1)


(引用終わり)


以前、この箇所のメッセージを教会で聞いたとき、「愛」の箇所に自分の名前を入れてみると、いかに自分に愛がないか分かると聞いたことがある。


「けんじは寛容であり、けんじは親切です。また人をねたみません。・・・」


だめだ、これ以上続けられない!


とてもじゃないけれども無理だ。


上記の箇所は神の愛について書かれた部分なので、自分にそれがないからといって落ち込む必要はないということだが、そのような愛を持って生きれたら最高だと思う。


モリー先生は、愛について、こうも言っていた。


「人生で一番大切なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだ」


そして、愛を実践する大切さを教えている。


「本当に助けたいと思うなら、あわれみをかけるだけでなく、実際に尋ね、電話をかけ、抱えている問題を話してもらうんだ」



今日読んだ、聖書の箇所にコメントがついていたが、そこにはこう書いてあった。


「Love is the action.」(私は聖書を英語で読んでいるので、コメントもすべて英語だ)



「Love is the action.」


「愛しているよ」なんて口で言うのは簡単だが、それを「実行する」となると、本当に難しい。


だが、モリー先生が言うように、愛をどうやって外に出し、また、中に受け入れるか、その方法を学ぶためには、実践あるのみなのだろう。


1つでもいい、今日、何か愛のある行動をしていこうと思う。



"And now abide faith, hope, love, these three; but the greatest of these is love." (1 Corinthians 13:13)