高梁市成羽美術館で「高倉健」と出遭う。 | マッスル・ケンの自由人ブログ

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退職してから5か月が経過しました。まずは、「断捨離」で身の回りに集まった「宇宙ゴミ」を片付けました。身軽になった身で、新しいことにチャレンジします。色んなことを、ゆっくりと、こころゆくまで味わい、楽しんでいきます。ごいしょにいかがですか?

 

 

 実家のお墓の掃除や屋敷周りの柴刈りの合間、8月11日、高梁市成羽美術館に行きました。なぜ美術館で「高倉健」?という思いもあったのですが、入ってみて納得。高倉健は一つの文化現象だったのです。美術館に陳列される「高倉健」。

 といった風に批判的に書きましたが、美術館の全ての壁面を使って映し出される、健さんの出演作205本の名場面映像は、圧巻です。私は一気に、1970年前半の唐獅子牡丹の世界にワープしました。名画館3本建、見終わった後、肩を怒らせて映画館を出ていく二十歳の頃の私。

 もちろん1970年代後半からの健さんも素敵です。「黄色いハンカチ」の、ようやく戻ってきた時、倍賞千恵子の待つ家の方を、怖くて怖くて見れない、あの車の中で頭を抱える臆病な健さんの姿。あるいは、「鉄道員」の広末涼子が顕れる名シーンも、涙なしには見れませんでした。

 

 陳列される作品になった時から、作品は遺物になるのでしょうが、こうしてたくさんの人々が作品を見て、見ている人たち自身の記憶を呼び起こさせ、その時代とその時代を生きていた自分たちを確認させることができるのは、素晴らしいことだと思います。大げさに言えば、いつでも健さんと交流できる、コミュニケートできる場を提供することは、とても大切なことだと思います。

 高梁市成羽美術館さんありがとうございました。鬼籍に入った健さんと、お盆に入るこの日に、岡山で再会できたことに感謝します。

美術館の展示室は写真が撮れません。ロビーの高倉健の写真パネルに夏の陽射しが幾何学的に映し出され、不思議な雰囲気でした。なぜか、米子の写真家、植田正治を思い浮かべました。ちなみに成羽美術館建物は安藤忠雄です。