Tweeting from 無意識からの語り

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だらだら書いたブログですヽ(ぺ┏∀┓ぺ)ノ

<( ^o^)> へいへーい!
社会の中において温厚で、安穏で朗らかな日が幾日も続いたとしてもたった一日の異変によりすべてが消え去る虚弱性、狭量性が今社会のなかで垣間見える大きな問題点であるように最近肌で感じる。

どんなに多くのありがとうや感謝や栄誉、善い行いを数多くこなし、それも相手への媚びへつらいでもなく純粋な気持ちでそのような評価を獲得したとしても一度のミスや叱責、ひとつの欠陥があればそこだけを虚大化してそこを修正するようにと社会は大声をあげて叫ぶ。

それらの虚量な行いは善い点をますます狭くしてその会社、もしは個人という規模でもいろんないい点を奪いうる。

何かの苦情を考慮にいれる際
そのたっったひとつの不確定で不明瞭な内容をただ一瞥しその対象者へと投じるのではなくかこの行いやどれだけの人に笑みを与え、意義に満ちた日々を与えてきたかも同時に思考対象にいれていったい何が人に満足をさせなかったか根本的に見つめていく必要性がある。

単にいわれたらほうほいと安易に進めても品位や各位という点において懐疑的になるしかなくなってしまう。

現代においてほんとの原因性というのは個人の遺伝レベルの欠陥や先天的もしくは後発的なストーリーの解釈において甚だ影響される。

例えばテストを終えた後の食事
仕事をはじめる前の食事
年末年始の会話、音楽雰囲気。
それぞれの解釈厳密にいえば脳波やホルモンの分泌のされかたによりよかったか、悪かったか判断される。

そもそものはなし人の快楽系
ドーパミンを分泌させるにはなにか目的に対して段階を経て達成する達成感や予想を上回る報酬により刺激され活発し満足感を得るわけだ。
正直予想を上回れというのも運をもってせずに成すのは神業といえるだろう。。。

根本的に現代の人は与えれる時と与えるときを極めて厳格に区別しすぎでそれが原因で不幸や幸せを感じとる神経がいってしまっていると思える。

幸せろはどれだけ多く獲得できたかではなくどれだけ多く感じ取れるかだ。