TOKYOに求められる政策議論~「自分の考えを示し有権者に考えてもらえる」公約を | 批判・バッシング・炎上・苦情・誤解から守り、数値をファクトチェックする「オムニメディア」

TOKYOに求められる政策議論~「自分の考えを示し有権者に考えてもらえる」公約を

猪瀬東京都知事の辞任があり、現在、東京都知事選挙の候補者選定が各政党で行われている。五輪をどうするか、グローバル都市としてのインフラ整備、利害関係者と知事との関係の在り方、スポーツ振興といったテーマが選挙の争点の中心になるだろうと想定されている。この世界的な巨大都市の現状を踏まえ、教育、防災、子育てなど様々な面から議論がされるだろう。歴史と伝統を持つ各政党に推薦された候補者がどのような「声」を発するのか大変期待が持てる。しかし、「声」だけで十分なのか、とよく考えると思う。今求められているのは「声」に加え「考え方」であろう。都知事候補者による政策議論は、東京都の現状をどのように考えるのか、現状と課題は何で、そのためにどのような事業を進めるのか、自分はこのように行動する、その理由はこういう根拠がある。という論理で、現状認識と個人の行動・経験の裏付けを明記した公約の提示が必要だ。


有権者は、この人でいいのか?判断する際に、個人の知る範囲で集めた情報(直接会ったり、知り合いからの伝聞、メディアで流れた映像や文章などから)や印象・イメージを参考にして投票している。ただし、候補者が「何をやりたいか」というもっとも大事な判断材料の1つである公約は、残念ながら抽象的な文面が並び、もしくは、具体性な事業レベルのどちらかに偏ってしまう。前回の各候補者の公約を見ても、「電力エネルギー改革」、「地下鉄改革で暮らしを便利に」、「教育再生と子育て支援」等々。さらに個別に見ていくと、理念・方向性といった抽象レベルと事業内容といった具体レベルが混在しており、ふわっとしたけど、一部は詳細な内容となっているという特徴があった。前回の早稲田大学のマニフェスト研究所の各候補者の公約評価でも、理念や政策の一貫性という面が全候補者の平均得点が低かった。


そもそもなぜ現状認識に基づく公約が必要かというと、公約に一貫する政策理念、各施策(子育て、福祉、環境、公共交通、産業などの大きなくくり)の方向性、それを支える現状認識が提示されないと個々の有権者にとって選択するには不十分だからだ(個人的には、そのための具体的な計画、計画を支えるマネジメント方法まで提示してもらいたいが)。実際、真剣に考えれば考えるほど判断できなくなってしまう。そして、公約をもとにした議論やメディアのウォッチも十分なものには期待できなくなる。前回「争点がない」と、とあるテレビやメディアでは言われていたが、メディア自身が作れなかった面はおいていても、争点についての改善余地があることは確かだ。新聞は比較的、争点が明確になっていたと思うが、その内容も個々の施策・事業レベルの視点での書かれ方にとどまった。政策の全体構造が明らかになっていなかった。


たとえば、石原前知事の取り組み、猪瀬知事の取り組み、特に平成22年12月に発表された「10年後の東京への実行プログラム 2011」の個々のテーマに賛同するのか?8つの目標の現状や方向性をどう感じているのか?本当に今必要か?進捗についてどう判断するか?といった議論を提起してもよいと思われる。リーダーに求められる社会の見方、全体構造とそれを支える知見や方針を議論しないで、担当者レベルの個々の政策や事業を議論していても意味がない。


「2020年の東京」への実行プログラム2012」は、私のような専門家が僭越ながら言わせてもらうと日本全国の各自治体と比較しても「レベルが高い」とはお世辞としても言えない。全体方針、事実に基づく現状と課題認識、住民と役所との役割分担、数値目標や達成度を掲げている自治体も多い。東京都は地方自治のマネジメント面で「遅れている」という実感は誰も持っていないだろうが、それは事実なのだ。これを疑う人がいたら、各自治体の「総合計画」「行政評価」のページをホームページで見てほしい。


有権者は関心領域も知識もバラバラだし、識見のある候補者もそれは同じである。しかし、政策の全体構造、「東京都」に対する現状認識をあいまいなままに提示されたまま政策討論がなされても、かみ合わないし、論点を整理しにくい。誰もが困る。


アベノミクスで景気が回復基調にあり、東京五輪の開催も見え、社会に明るい兆しが出てきた。ただ、被災地はまだ立ち直っていないし、首都圏以外の地方は元気ではない。だからこそ、新たな時代を切り開くような政策議論を期待したいし、そのためにはしっかりした「公約」がいる。候補者やそれを支える各陣営が有権者に示し、それを有権者が思考し、判断をくだす。そこに首都東京のプライドを見たい。