元財務次官 武藤敏郎さん 80歳

 

日経新聞の2024年1月の「私の履歴書」

を書かれてる方だ。

 

埼玉県浦和市出身

市立北浦和小学校卒業

開成高校を経て、

1966年東京大学法学部卒業し、

大蔵省入省

事務次官を経て、

2003年日銀副総裁

2008年東大先端科学技術研究センター

客員教授に就任、大和総研理事長就任

2009年から2015年まで母校の

開成学園理事長

2014年東京オリンピック事務総長

 

1966年に大蔵省に入り、2001年に

財務時間になっているので、

まさに日本の高度成長期、バブル、

バブル崩壊後まで日本の国家の中枢で

仕事をされてきた人だ。

 

そんなTHE官僚の武藤さんだが、

小学校時代の恩師の須藤先生とは

先生が80歳を超えてまでクラス会を

開くなど交流を続けてきたそうだ。

 

それってすごくないですか!?

 

昔の人は恩師を大事にするんだなと思いました。

 

1950年4月に武藤さんが北浦和小学校に入学すると、

担任は須藤アイ先生。当時は20歳代で児童と共に

考え、行動する情熱的な女性教師だったとの事。

先生の指導は厳しかったが、厳しさの中にも

思いやりの深みはよくわかったので、

みんな先生を慕っていたとの事。

クラス替えは何度かあったが、

武藤さんは6年間ずっと須藤先生が担任。

クラス級長にも繰り返し選ばれ先生を

お手伝いすることも多かったとの事。

 

努力する事が大事だ

人に誠実に接する

など倫理観の根本を先生から教わったとのこと。

 

小学校6年生の夏休みに先生が

東京の私立開成中学を受験したら?

開成なら浦和から通える」と背中を

押して、両親にも受験を勧めてくれたとの事。

先生は補習授業も引き受けてくれて、

5ヶ月間猛勉強して合格できたとの事。

 

小学校を卒業するときに先生が

黒板に書いたクラスの皆への

はなむけの言葉。

 

点滴石を穿つ(うがつ)

 

小さな水滴も積み重なれば、

やがて硬い石に穴が開くという意味。

 

武藤さんは座右の銘を問われると

今でも小学校時代の恩師の言葉を

挙げられるという。

 

水は柔構造であるけれど、

創意と工夫で望外の結果を出せるはず

と解釈して武藤さんは心に刻んできた

 

数年前に先生が90歳を過ぎて

亡くなるまで恩師との交流は続いたとの事。

 

日本を支えた官僚の一人である武藤さん、

恩師を大事にして、ずっと交流を続けられる

なんてなんか胸が熱くなるエピソード。

こういう骨がある人が日本を支えていたのだな、

こうした精神を受け継いでいかないと

いけないなと思いました。