作詞家のいちばんの幸せ その① | 時計をはずして

時計をはずして

心理カウンセラー 作詞家 せきけんじ

 

作詞家になりたかった。

矢沢永吉の大ファンだったから

いつかクレジットを並べる

作詞家になりたいと思った。

 

こんにちわ。

今日は作詞家せきけんじです。

 

中学校の頃に曲を書いて

友達に聞かせたら

「お前の歌詞。天才!」と言われた。

 

高校で演劇部に入って

つかこうへいの舞台の劇中歌で

作詞家「大津あきら」を知った。

大津あきらの歌詞に酔いしれた。

 

暫くして「大津あきら」は

矢沢永吉に歌詞を提供することになる。

自分の二つの憧れがひとつになった。

 

僕の作詞家としての原点は矢沢永吉で

あり、大津あきらなのです。

残念なことに大津あきらさんとは

直接お会い出来ることなく、

でも、デビュー後、墓前で報告とお礼

をすることができました。

 

あれから、15年。

時の重みを感じながら、

今なお、新たに自分の作品を発表するこ

とができること。

これは本当にすごいなぁと思う。

現実に夢を手にした自分と

今なお、継続できている自分。

もう一度ゼロからやってみろと言われて

多分できないだろうなぁ。

 

作詞家の仕事って孤独な作業。

コンセプトとか指示だとかは多少あっても

作業自体は

自分との対話。

自分と自分の感性の探り合い。

 

作品ができても高いレベルのコンペを通過しないといけない。

 

出来上がって、採用されて、

店頭に並ぶ、ラジオ、テレビで流れる。

 

でも、作詞家にスポットライトが当たる

ことは殆どない。

 

知的財産権が生じるしメディア

で流れればそれは嬉しいがそれは個人レベル。

 

だから、提供したアーティストのライブで、

自分の作品が歌われた時、

その会場で同じ空間で観客と

世界感を共有できた時

その時が作詞家としての一番の幸せなのです。

 

武道館や東京ドームのBIGな会場の興奮も

暮れの紅白のNHKホールも

小さなライブハウスも自分がその場にいたすべて。

 

その空間で観客の皆さんと世界観を共有できるとき。

 

その時いつも思う。

「作詞家になれてよかったな」と。

 

それと同時に

「お前、よく作詞家になれたよね」とも。

 

 

3月にコレクターズの古市コータロー君のソロアルバ

ムで歌詞提供しています。

それを引っ提げての全国ツアーが発表されました。

 

プロデューサーのヒロさんのブログ。


 

今回はソロで初めて博多に来てくれる。

 

6月。

 

作詞家としての一番の幸せに会いに行きます。