オープンの時間になって、坂本は階段を上がり、ビルの前に店の看板を出した。
「雨…か…」
地下にいたから気づかなかった。
そういえば、あの日も雨が降っていた。休憩に行くと言ったきり三宅が店に戻らなかったあの日…。
その翌々日のことだった。東京の連続殺人犯が大阪で自殺したというニュースを坂本が見たのは。
その後、再び井ノ原や岡田が店に来て、事情を聞かれた。
それから、三宅の恋人であったという女性が訪ねて来て、礼を言われた。
それが10日前のこと。
そこまではいい。その後取材に来たマスコミとは何度やり合ったかしれない。
売り専時代の三宅のプロフィール画像が世に出回った。その儚げな美しいルックスと悲惨な生い立ちによって、殺人犯といえど、世間は三宅に同情した。
が、世間が同情的かどうかは坂本にはどうでもいいことであった。坂本は三宅を知らない人物が興味本位で三宅の人生を暴き、語ることそれ自体が許せなかった。
「あんたらクズだな。他人の…しかも、故人の人生勝手に暴いて…。あんたらに話すことは何もない」
「故人だからこそですよ。生きていれば、情状酌量の余地はあった。三宅さんの無念を晴らし、名誉を挽回するためにも…」
「ふざけるな!勝手に人生語られて、何が名誉だ!それに、健は無念だなんて思ってない。だから自ら命を絶ったんだろう!情状酌量?笑わせるな。そんなこと、あいつは望んじゃいねーよ!帰ってくれ!二度と顔見せるな!」
記者の鼻先でバタン!とドアを閉じ、坂本はドアに背をつけ、悔しくて涙を流した。
どんなに暗い生い立ちでも、それを背負って、まっとうに生きようとしていた。少なくとも、坂本の目には三宅はそういう人間に映っていた。
岬から、三宅にもうひとりの人格が宿っていたことを聞いた時はむろん驚いた。
たしかに、三宅はいつもどこか不安げであったし、時々話を聞いていないこともあった。しかし、それが、別の人格に操られることがあったせいだとは、よもや思い至らなかった。
「でも…最後は健ちゃんが勝ったんです」
私は健ちゃんに救われたんだと岬は言った。
それが全てではないか、と坂本は思った。
本来の三宅は、酷い目にあったからこそ、自分は人としてまっとうに生きたい、そう思っていたのではないか。
それなのに別人格に恨みを背負わせてしまったことは、三宅の弱さでもある。だがしかし、最後にその人格に打ち勝つことができたのは、三宅の強さではなかったか。
「いい奴でしたよ。可愛い顔して、人におもねいたり媚びたりとか、そういういやらしいところのない、気持ちのいい奴でした」
坂本がそう言うと、岬は三宅のことをわかってくれて嬉しいと泣いた。
「ご存知でしたか?あいつ…きれいな丸い氷を作るのが得意で…」
「はい」
「お客さんが喜んでね…」
坂本は、三宅と客のやり取りを懐かしく思い出した。
『きれいね。三宅くんみたい』
『え?どういう意味ですか』
三宅は照れて眉をひそめ、わからないという顔をする。
『見た目の話?』
坂本が横から言うと、客は、
『見た目もだけど、心もね。きっと三宅くんが混じり気のない純粋な心を持ってるから、こんなきれいな氷が作れるのよ』
と言った。
『そうか!だから俺には作れないのか』
と坂本が納得してみせると、客と三宅はハハハと笑った。
坂本も一緒になって笑った。
三宅の屈託のない笑顔は、見るものを幸せにした。
坂本にとっての三宅は、それでいい。いや、それが全てだ。
「僕は好きでしたよ。あいつが。…今でも、もちろん。あなたを守って自分を殺めたことは、あいつの意志だから…俺はそれでよかったんだと思います」
夜空から降り注ぐ雨を見上げて、坂本は、岬のことを思い出した。
岬はまだ泣いているだろうか…。