「はぁ?」
「ああ…妬けるなぁ」
って宝がお湯を注ぎながらわざとらしいトーンで呟く。
「なに言ってんだよ」
「条くん、俺の匂いは嗅いでくれないのかなぁ…」
「嗅がねーよっ」
「健くんの残り香は嗅ぐのになぁ…」
……。
バレてる。こいつ…背中にも目ついてんのか⁇
「嗅いでないって!い、今のは…確認だよ。確認!」
「だから健くんの匂いを確認してたんでしょ」
「違う違う!俺の鼻がちゃんと!正常に!機能してるかどうかの確認!」
「あははっ。じゃ俺も確認しよ」
宝がすっと俺に近寄って首筋に鼻をつけた。
「うひゃっ!」
変な声出た。咄嗟に首を抑えて後ずさる。
「くすぐってーだろっ!何やってんだよこらぁっ!」
宝があははって笑って、ポットの所に戻り、カップにコーヒーを淹れて運んでくれた。
「はい。どうぞ」
「サンキュ」
ふたりでソファに向かい合って座り、コーヒーを飲んだ。
「ん。…うまい」
って言うと、宝が嬉しそうに微笑んだ。
部屋の隅には健の黒い紋付袴がかけてあって、窓辺には多肉植物と盆栽が並んでいる。その窓の向こうは花曇り。
目の前のソファでは宝が足を組んでコーヒーを飲みながら、譜面を見ている。
譜面を見たら、頭の中で音が流れるのだろう。肘掛けに乗せた手が小さく動いて指揮をとり始める。
ゆったりと流れる時間。
俺はゴロンとソファに寝転んで数学雑誌を手に取った。
さて…と。うるさいあいつのいない間にひと遊びするか。
「健がいないと、静かでいいなぁ…」
面白そうな問題を見ながら独り言を言った。
宝がチラッと俺を見て、それからまた譜面に視線を戻した。手を動かしながら鼻歌を歌う。
俺は、問題を眺めながら、シンプルな宇宙に思考を飛ばす。点と線と、記号と数字。
ひょっとしたら宝の眺めてる譜面も、似たようなものかもしれない。
「宝ぁ…」
「ん?」
「数学と音楽ってさぁ…似てる?」
宝が譜面から顔を上げた。
少し考えて、ニコッと笑った。
「ああ…そうだね。似てるかもしれない」
俺と宝みたいに。