前の敷石に手をつきそうになったところで、急に体が安定したと思ったら、宝先生が片手で私の肘を掴んでもう片方の手で前のめりになった肩を支えてくれていた。
「大丈夫?」
肩と肘に触れている先生の手がいともたやすく私の重心を元に戻した。
私は自分の体がこんなに軽かったかと不思議な気持ちになった。
「す、すみません。ありがとうございます」
「女性は靴がね…」
って私のパンプスを見る。
と、宝先生のスニーカーの紐が解けてるのにふたり同時に気づいて、
「…あ!」
と言って宝先生がそれを結ぼうと屈んだ。
あ…!
と私は心の中でもう一度叫んだ。
跪いた宝先生の頭に黄色い銀杏の葉がついていた。
イルミネーションにばかり見惚れていたけど、見上げると立派な銀杏の木があった。足元にも葉が落ちている。
イルミネーションの光に映し出された宝先生の艶々とした短い黒髪と黄金色の銀杏の葉のコントラストが綺麗だった。
これは…
声をかけるべきか、それとも、手を伸ばして取ってあげようか。でもそうすると先生の髪にも触れることになる…。
それは少しパーソナルスペースを侵すような気もする。
でも、侵してみたい…。
ドキドキしながら、私は身をかがめて先生の髪に手を伸ばした。
先生の髪が近づいてくる。
ん?近づいて…くる?
と、そのとき、
ガッ…‼︎
突然顎に衝撃を感じ、激痛が走った。
「うぐぁ…ッ⁉︎」
同時に蛙の鳴き声みたいな変な声が私の口から飛び出した。
「わっ⁈ごめんっ‼︎」
宝先生が靴紐を結び終えて立ち上がった拍子に、私の顎に先生の頭が激突したのだった。
痛い!めちゃくちゃ痛い!しかも舌噛んだ!
私が顎を抑えて痛みに耐え、地団駄踏んでいると、
「ごめん!そんなに近くにいると思わなかった。大丈夫?」
って私の顔を覗き込む。
そうですよね。近づきすぎました。先生のパーソナルスペース侵そうとした罰?ってかこれはたまたま?女を寄せ付けない無意識のガードなの?
「ら…らいじょ…ぶ…」
じゃないけど。血の味がするけど。
「ちょっと見せて?」
って顔が近い!近い!
先生こそ私のパーソナルスペース侵してます!
ふいに先生が顎を抑えてる私の手を退かせて、かわりに先生の綺麗な人差し指でそっと私の顎を持ち上げた。
……!
…これは…世に言う「顎クイ」ですか?嘘でしょ?宝先生に顎クイされてる!
…でも、もちろん私の視線の先に先生の唇があるわけはなく、
下から私の顎を覗き込んでる先生が、
「…見た目は…大丈夫そうだけど…」
って言って手を離した。
はぁ…。いろいろ、心臓持たない。
「ごめんね。ほんとに」
って上目遣いで謝ってくる宝先生が可愛い。
「いえ、大丈夫です。ほんとに」
先生と目が合う。
先生はちょっと笑っている。
たしかに、すごく間抜けだ。
私も笑いがこみ上げて来た。
ふたりして笑いを堪えている。
笑っちゃ悪いと思ったのか、先生は口元を覆って私に背を向け、建物の方を見た。
「中入りましょうか。寒いでしょ?」
「そうですね。顎だけ熱いですけど」
プハッて宝先生が笑って、くるっと振り向き、
「ほぉんとごめんっ!」
って両手を合わせた。
「嘘ですよ!冗談!」
私は笑って先生と並んで建物に向かった。
ほんとは先生は悪くないの。私が近づきすぎたんだもん。
宝先生は、そのまま私の部屋の前まで送ってくれた。
「それじゃ…お疲れ様」
と目を合わせたまま先生が軽く会釈する。
「お疲れ様。…おやすみなさい」
「おやすみなさい」
甘い声と優しい微笑み。くつろいだ格好の先生。誰もいない廊下。
名残惜しくて、突っ立ったままでいると、先生は少し首を傾げて、どうぞって感じで軽く片手を出す。部屋に入れってこと。
私はカードキーをさしてドアを開ける。
「…じゃ…」
って部屋に入ろうとすると、
「…門地さん」
って呼び止められた。
ドキッ!
「…はい」
「部屋に、氷ある?」
「え?」
ど、どういうこと?
氷があったら…何?
部屋で一緒に水割りでも飲みますか?いやいや、勤務中。でも、生徒いないし。もう遅いし。今からなら…飲んでもいいかも。私でよければお付き合いしますよ!
「あ…あると、思います」
お酒は買わなきゃいけないけど。
「…そう」
先生が顎を上げて私を見つめている。それから片眉を上げて顎を撫でさする。
やだ。カッコいい。キメ顔なの?いやまさか…ほんとに?
「顎…」
「…は?」
「氷で顎冷やしといた方がいいですよ」
あ、そっち⁇
…ああ、そっちかぁ…。なんだ…。
「あ…はい。…そうします」
「じゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「また明日」
宝先生は微笑んで軽く片手を上げた。
「また明日」
バタン…。
私はドアにもたれて、ふぅとため息をついた。
それからよろよろと歩いてベッドにダイブした。すると、白いシーツの上に、ひらりと何かが舞い落ちた。
「…あ…」
私は目の前に落ちてきた黄色い銀杏の葉を摘んだ。私の体のどこかに銀杏の葉がついていたんだ。
それとも…。
先生の頭にのっていた黄金色の葉を思い出す。
もしかしたら、あの銀杏の葉っぱ?
私はごろんと仰向けになって銀杏の葉をクルクルと回してみる。
「…だったらいいなぁ…」
私はいよっ!と上体を起こし、サイドテーブルに置いてあった読みかけの本を開いて、栞がわりに銀杏の葉を挟んだ。
パタンと本を閉じる。
「閉じ込めた!…なぁんてね…」
宝先生も、こんなふうに捕まえられたらいいのになぁ。
先生の優しい笑顔を思い出す。
まぁ…無理だよね。あんなに素敵な人なんだもん。
でも、ま、いっか。
先生と中庭を散歩できて、「おやすみなさい」「また明日」を言い合えて、おまけに触れ合っちゃったんだもんね。痛かったけど。
私は顎を撫でさすった。
そうだ!氷で冷やさなきゃ。
宝先生に言われたとおりにね…。
※准ちゃんお誕生日おめでとでした
あま〜い声と笑顔が好きよ健ちゃんの次にね!