おじさん三宅健 | 上目遣いのけんちゃん先生 V6カミセン 小説

上目遣いのけんちゃん先生 V6カミセン 小説

V6の三宅健と森田剛と岡田准一をイメージしたイケメン教師が、今どきの女子高校生たちと繰り広げる学園ドラマ。ドラマの進行の合間に出てくるけんちゃん先生の古典講義は勉強にもなる?

すっかり10代にやられちゃってるそのやられっぷりが、すっかりお、じ、さ、ん♡な、三宅健がいささか恥ずかしい健担です。


学校、10代、思春期。それは特別にキラキラ眩しいもの。

廊下でゴキブリ見ても三宅健見てもキャーッ‼︎ってどっから声出しとんねんっ‼︎って高さで叫ぶのが女子高生です。


集団になると異様なハイテンション、笑い止まらん!それが女子高生です。


もう久しぶりにそんな10代の中に飛び込んじゃったんだから、おじさん三宅健は新鮮で学校の空気とか女子高生の空気に呑まれちゃったんだね。


ラジオでその新鮮な感動をぶちまけてしまったわけだ。いささか興奮して。


健ちゃん明らかに、こっち側ですよ。10代が眩しくて仕方ないんだよ。それだけ自分との隔たりを感じてるんだよ。

10代ってすごいよね、って。僕とマスタードイエローさん達は、あれには敵わないよね。

って、そういうつもりだったんでしょ。


マスタードイエローが30代までってのはどういうことやねん!と思うけど、40代が見えてないわけじゃなくて、40代以上は…イエローオーカー(黄土色)だからね、さすがにそこまで言っちゃダメだと思って自粛したんだね。←

あ、私イエローオーカーです。


前にも書いたけど、私は二次元的に自己中心的に健ちゃんが好きです。

それは、虚像が好きだということかもしれない。いや、そうだ。実像は知らないんだから。


私のようなファンは、

自分が好きになった二次元的な健ちゃんを、三次元健ちゃんがリアルな言動で崩して来たときに、

裏切られた

と感じるのかもしれない。


自分が好きになったのはこんな人じゃない、と。


でも、実は「こんな人」が実像だったりして。


実像かもしれない健ちゃんを受け入れられなければ、恋は冷める。


ファンを続けるには、実像かもしれない健ちゃんに傷つけられて尚、それを自分なりにいいように解釈したり、自分で自分を納得させたりして、三宅健という虚像を修正していくしかないのでしょう。


だけど、そこで思うのは、私にとって大事なのは、三宅健か、私の恋か、っていうこと。

私は三宅健が大事なんじゃなくて、私の恋が大事なんだ。

自己中心の極みは、

私の恋を邪魔するな!三宅健!

ってことで、いや、我ながら、こんな自分勝手な話はないな、と思う(・・;)


まあ、いずれにしても古参のファンを悲しませるような安易な言動は慎んで欲しい。悲しくなっちゃうよ。


ファンは、案外健ちゃんより、同士であるファンの方が大事なんだぞ!