そのぶどうの木は、畑の一番西側の角に立っていました。
 夏になれば花をたくさんつけ、秋にはたわわに実をつけます。

 青年が畑の見回りにきました。
 彼女は、少年だったころの彼に、畑に植えられました。
 ともに成長した彼に、彼女はいつしか恋心を抱くようになりました。

 彼が微笑んでくれるのがうれしくて、彼女は毎年毎年一生懸命実をつけました。
 彼によって摘まれるぶどうは、彼女の真心のようにきらきらとしていました。


 ぶどうは数年の時を経て、ワインに変わります。
 でもそのワインを、彼が飲むことはありませんでした。
 彼はお酒が好きではなかったのです。
 ぶどうの木は、それを哀しく思っていました。


 いつしか青年の隣には女性が並ぶようになりました。
 働き者で快活な女性を、青年はとても愛していました。
 気づけば彼のまなざしは女性を追い、その姿を見たぶどうの木は深く傷つきました。
 でもぶどうの木は動くことができません。
 恋心をうちあける声もありません。
 彼に触れる指もないのです。
 
 ぶどうの木は何もできなくて、でも一生懸命実をつけました。
 たとえ恋がむくわれなくても、彼の喜ぶ顔が見たかったのです。


 彼の目じりにしわが目立つようになってきたころ、彼は涙をこぼしながら畑へやってきました。
 手には十字架を握りしめています。
 それと同時に、女性が畑に現れることはなくなりました。
 彼の足も、畑から遠ざかっていきました。

 畑は徐々に乱れ、弱った仲間の木たちは枯れはじめました。
 草一本生えていなかった美しい畑は雑草におおわれ、見る影もなくなりました。

 ぶどうの木は、彼に会えなくて寂しいと思いました。
 一生懸命つけた実が、霜におおわれ腐り落ちていくのを何度見たことでしょう。
 何もなすすべもなく、彼女は悲しく立ちつくしているしかありませんでした。


 その年のぶどうも、摘まれることなく地面に落ちました。

 冬の最初の日、畑に向かってくる人影が見えました。
 ぶどうの木は彼がやってきたのかと心を躍らせましたが、その人は彼ではありませんでした。
 背広をきた男はペンで紙に何か書きつけながら、畑を一周して帰っていきました。

 その翌日、作業着の男たちがたくさん畑にやってきて、すでに枯れてしまった仲間を引き抜いていきました。
 畑の半分がからっぽになり、ぶどうの木はとても怖くなりました。
 自分の順番がやってくるときを想像したのです。
 それは月のない闇夜にいるよりもおそろしいものでした。
 でもぶどうの木は逃げることができません。


 ぶどうの木は残った力をふりしぼって、実を一つだけつけました。
 手入れされていない大地には栄養が少なく、それが精一杯だったのです。


 腰の曲がりかけた影が、夕日に浮かびました。
 年は重ねているけれど彼です。
 明日で作業が終わると聞いて、自分が植えたぶどうの木にお別れをしにきたのでした。

 彼はぶどうの木に手を添えると、一粒のぶどうがなっているのを見つけました。
 季節はずれのぶどうの実です。
 不思議に思いながら彼はぶどうを摘み、手のひらに乗せて見つめました。
 一日の最後の光が、ぶどうをきらきらと美しく照らしています。

 彼は指先で優しくつまむと口づけをし、そのまま唇に押し込みました。
 彼はゆっくりと、少しだけ寂しげに微笑みました。


 ぶどうの木は、彼の永遠の一部になれたことを喜び、枝をさわさわと揺らせました。
 彼はいつまでもいつまでも優しくぶどうの木をなでていました。
 
 ***