いつもは音楽を聞きながら電車に乗るのだ。
どこに移動しようとも、どこから帰ろうとも、音楽を聞きながらだ。
理由はさまざまだが、あまり褒められた理由でもないので割愛する。
しかし「ルドベルの両翼」を観た後は、考えることが多すぎて音楽は聞かなかった。
正しくは「聞けなかった」。

音楽が邪魔に思えたのは久しぶりだ。
備忘録として書き留めておく。


* * *


王は聖杯を飲み干し崩御するのが運命である。
儀式が行われる(王が20歳前後?)際、直属の王子(王女)にしか継承権がないのでは存続できない。
若い王に婚姻を結び、子をなすだけの時間があるとは思えない。
不可能ではないが、毎回うまくいくとは思わない。


かのシステムの王制を存続させるためには、複数の王を輩出する「家」があったはず。
我が子に白羽の矢が立った王妃の気持ちを考えるといたたまれない。
いっそ逃がそうとした王妃もいたのではないか。
我が子を死んだことにして狭間の世界へ逃したということもありえるのではないか。


継承に関するはおそらく大臣のような人物がつかさどっていることだろう。
王になるまで、王が犠牲になるシステムは伏せられている。

王は犠牲を背負うためこの世に生まれる。
聖杯を飲み干し死ぬためだけに、だと考えると養豚場の豚と一緒だ。
死ぬために生まれたのか。その通り。
この世の王は、死ぬために生まれている。


タクムは双子の兄を救うために翼を落とし、王位を譲った。
再度あいまみえたときは、彼のために死ぬ決意をする。
どちらも最愛の彼を苦しみから救うために。

しかし兄という人はまったくタクムの愛を感じていないように見える。


人は器を持って生まれる。
大きさも素材も人それぞれ。
小さい器、大きい器、ガラスの器、鉄の器。

他人の感情を受け取るためのもの。
人の寂しさを受け取るためのもの。

環境によって大きくなったりするし、環境が悪かったら小さくなっていってしまうもの。
火に当たれば変形するかもしれないし、とけてドロドロに小さくなってしまうのかも。


この器の名前を愛と呼ぶ。


タクムはこの器が大きく生まれた。
だから、ひな鳥が最初に観た動くものを親だと思うように、隣にいた兄に愛情を注いだ。
それがたとえ仇でかえされようとも。

兄がそう望んだから。
他人にばかり価値観をおいてしまっていたのを、聖杯の場面でようやくジュンジュにつきつけられた。
そうだまさしく「オマエの意思はなんなんだよ」
(真後ろで叫ばれたから、自分の声が外に出たかと思った)


クライマックス、タクムのセリフが響く。


仲間というのは、共有すること。
君は僕の物。

実はこの考え方には違和感がある。


私にとって仲間とは、何か第三者を共有するものだ。
時間であれ場所であれ。


もし時間も場所も違うものになったらさようなら。
元気で、また会いましょう。あなたの幸福を祈るよ。と思える人が仲間なのではないか。


さておき。


ラストは聖杯を5人で分かち合う。
これは仲間の儀式だ。
物を共有し、時間を共有し、苦しみを共有する。


「生きてる…ね?」


それは、神様のお目こぼしかもしれない。


* * *


今回の舞台で一番気の毒だと思ったのはトシモルだ。
トシモルの「自分を恥じた」発言。

仕方ないんだ。
環境が悪かったんだ。
貧すれば鈍す、全ての人から奪う人生にもなろう。

タクムは生まれが王家、屋根のある生活、食事に困らず、豊かに育った。
幽閉された後ですら、食事はとれた。
人らしい生活ではないかもしれないが、それでもどん底にはまだ少し遠い。


しかし君は恥じることはない。
人が人らしく生きるためには環境が必要だ。

儀式に向かうタクムを置いて戻ってきたトシモルを責めるのはやめてほしい。
彼はタクムの選択を重要視したんだ。
尊敬している彼に、「一緒にいろ」と言われながらも、タクムは一人で行くことを決めた。
トシモルは止めたかっただろうに戻ってきたんだ。
選択した彼をとどめる言葉をもたず。


彼は無力だったんだ。


彼の不遇な生まれを鑑みるに、彼は人生のうちで誰かに意見してそれを聞いてもらうという経験がなかったのかもしれない。
卵の時から鳥かごにいた鳥は、空を飛ぶことを知らない。

だから儀式の場面で「俺も一緒だ」の微笑みに意味がある。
ちょっと強引な、自分を受け入れてもらうための微笑み。


トシモルはここで変わった。
タクムと、もう少し対等な関係を築けることを望む。
せめて、人生の重大な決定を下すときに話し相手になるくらいには。


* * *


初おぼんろでした。
私は舞台に上る人に出迎えられて客席に向かったのは初めて。
なにこの近さ。
いいのこんなに近くて。
役者さんって雲の上の人じゃなかったの。


舞台の正面はどこかときょろきょろしていたら、やっぱり役者さん(わかばやしめぐみさん)に声をかけられ、席を案内されたり。
なにこの近さ(再)

上演中は、アクティングゾーンが客席と一体化していて、後ろから声が聞こえて振り返ったら、次は上から音がする。
上半身のストレッチによろしいわ。
役者が通った後に風を感じるとか。
とても近いわ。
いいのこんなに近くて(再)


おぼんろでは、衣装舞台装置ほとんど捨てられていたものから作っているそうで、しかし衣装はすばらしく美しかった。
肩から下がっているのは実はスカートであったものであるとか。
あちこちに飾られている額縁やメリノー種の羊の面のようなものも、そうだったのだろうか。
再雇用先があった額縁諸君におかれましては幸いであったと思うのだ。


タクム(元天使)だけ足元がサンダルで、他演者は皆地下足袋だというのはタクムが天使であるのを表現したかったのかなとか。


1回しか観られなかったのが残念だ。
確認したいところがたくさんあったのに。