♪ポッ ポッ ポ~ッ 810 ポッポ~♪



ちょっと前から 家のベランダの 雨戸を 収納している


せまい 幅のところに 巣を 作ろうとして 


せっせと 小枝を 口にくわえて 運んでくる 鳩の つがいがいる。




その ひたむきな姿は とても 愛らしくて がんばれ~~~って


おもうけど、 小枝は ことごとく 下に落ちてばかりで


巣作りは いっこうに 進まず、 落ちた小枝の数が ふえていくだけ・・・




毎日のように 鳩さんの 声で 目が覚めてたけど なぜか 今日は


まだ 姿を見てない。 ひと休み中なのかな? 別の場所に いったのかな??




はじめ、 たくさんの 小枝と 鳩さんたちの 存在に きづいた時、


小枝を ぜんぶ 片づけてしまおうかと 思ったけれど、 その少し前には


鳩さんも おふだに 乗りに来ていたので、 せっかくだから 観察させてもらおうと


思って なんにも せずに ただ 見守っていた。 枝を運んでは 


独特の リズムの 鳴き声で 相方の 鳩さんと お話ししながら がんばっていたけど


ぜんぜん 成果が 伴ってない ところが なんだか とっても せつなかった。 




下に落ちた 小枝は もうすぐ こっちにくる お母さんの手によって


おそらく ぜんぶ 片づけられてしまうに ちがいない。





おんなじ せつなさを、 テレビで 見た  一本松の 姿と、


それを 必死で なんとか しようとする 人間たちの 努力している 姿に


感じてしまった。 復興の、 希望のシンボルとして なんとか 枯れてほしくない


という 人間たちの思いと さまざまな 努力。 はたして 自然は


それに対して どんな結果を だすのだろうか・・・? 



私に対しては 「流れに 抵抗するなよ~~~」 って いってるのかな!? (^^ゞ



人間って おおいに 感情に 左右されながら 生きている いきものだと おもう。


左右されながらも、 出来事を 上から見たり 下から見たり 斜めから見たり


いろんな ふうに 見る 工夫を しながら、 つねに 大元にある 大きな流れ、


自然の 摂理 みたいなものを 感じとろうと していったら、 一見、 悲しい出来事も


また 違う 意味合いが 見えてきたり、 納得や 理解ができたり・・・




そんな いろんな 見方 とか、 観察力とか、 まだ まだ では あるけど、


そういうのは やっぱり この理論と 出会ってから ずいぶんと 幅? が


広がったかな? って おもう。 その ものさしの力と、 直観力や


魂力を もっと 生かして いけるような 自分で いたい。




きっと その二つが がっちりと 手を繋いだ時に、 創造の力は


もっと 溢れだして、 創造への 歯車が 進んでいくのかな・・・