寝るということは、起きている時のような非平衡状態から、環境と同じくする平衡状態を保ち、よって散逸構造の自己組織化を一旦止めるという効果があるだろう。もちろん体内の器官のレベルの散逸構造は維持しているが、意識(自我)レベルの自己組織化は一旦止められる。それが脳を休めるということであろうが、また、余計な神経回路(短期的)を淘汰させて、また起きた時に、自己組織化を促す効果もあるであろう。1日寝れば、新しいアイデアが生まれる、また寝ても淘汰されないで生き残る神経回路はその太さを増し、長期記憶へ繋がるのであろう。

 

睡眠という仕組みも散逸構造である(自由エネルギーを比較的必要としない)としたならば、人間は一人の人間の中でも、自由エネルギー変位を最小化して、ネゲントロピーの消費を最小化して、エントロピーの散逸を最小化する睡眠をとるモードと、比較的自由エネルギーを取り込んで、あるいは他の散逸構造を利用しながら、ネゲントロピーを溜めたり、エントロピーの散逸を最大化する、起床モードがあるのであろう。それを使い分けることで、全体としての散逸構造のバランスをとっているといえる。

 

人間の場合は、寝ている間ネゲントロピーを貯めることはできない、むしろ消費するばかりだろう。植物のように光合成するわけではなく、高い体温を維持しなければならない。だから寝るために、起きている間にネゲントロピーを溜めているともいえる。寝るために起きているとしたら、それは「奴隷の幸せ」に違いない。ただ人間は植物と違って、ネゲントロピーをうまく他を利用して、散逸する役目にある(生物界全体の散逸構造において)と思うので、人間は「睡眠」にフォーカスするより、起きている時に、エントロピーを貯めて消費する、「生死」の方に活動をフォーカスする。「主人の幸せ」である。新しい散逸構造が動的に自己組織化するのは起きている時である。そこから苦も生まれるかもしれないが、苦楽含めて、散逸構造へのさまざまな負担を受け止めて修復し、朝からの鋭気を養うために睡眠はあるのであろう。