スポーツ選手は自らの力(身体能力)で、身を立てる、一見すると、自分の力でネゲントロピーを獲得しているように見える。

しかしながらスポーツというのは、他の人に感動や喜びを与えるものになっても、なにかスポーツをするという行為そのものが、直接的なエントロピー放出にはつながらない。

プロスポーツはたくさんの観客を引きつけて、大きな経済効果を生む。それは大きなエントロピーの放出につながるわけで、それが、対価としての報酬につながるのだ。

 

スポーツを見るというのは、予測できないドラマをみるようなものである。ルールという制約ものもと、勝ちを目指してダイナミックに行動を変え、チームスポーツなら協力して、運動能力を魅せる。そうやって、試合という散逸構造の中で、勝つための戦術を実行する。それは個人レベル、そしてチームレベルと階層化される。それは、相手によって自在に変化するから、正に刹那に変化する自己組織化する散逸構造が必要になる。それを見た観客は、その散逸構造を自らの脳に、生成モデルとして持つことで、実際にスポーツをしなくとも、感動したり、喜んだりするのである。

 

だから、テレビでも携帯でも、スポーツは感動を与えることができる。でも自分は何ら運動はしていない。すべてバーチャルで完結している。eスポーツが成り立つのもそういう理由だ。

散逸構造の自己組織化は、脳内の仮想世界では、最小限の自由エネルギー消費でいとも簡単に次々と起きる。それによってネゲントロピーの貯め方も消費の仕方も無限に広がってゆく。