人間に関わる散逸構造には階層がありそうだという話を前前回にした。DNAやミトコンドリアのレベルから、生命は、自ら情報を集めてそれを使って最も効率的な自由エネルギー消費をするような行動を動的に選択できる。それが集まった細胞、細胞が集まった器官、そして人間の身体全体、さらに配偶者と子を中心とした家族、そして共同体、国家などの組織構造を持って、秩序を保っている。このような部分ー全体の散逸構造の階層があるだけでなく、散逸構造が別の散逸構造を生み出すような複雑性をがあると考える。


まず一番の例は、細胞の増殖や個人の生殖による増殖である。これは生物最大の特徴であり、進化を生み出した、生物にしかないメカニズムだ。

もう一つ、とくに人間にあるのは、道具や機械を使った生産活動である。農耕や牧畜、そして道具や機械を使った生産活動によって様々な食べ物だけでなく、機械や道具が生産された。例えば家電製品は、電気エネルギーを自由エネルギーにして人々の生活を便利にして、人が消費する自由エネルギーを最小化してきた。三種の神器により家事労働は大幅に短縮化され、公共の交通機関網の発達により、ホワイトカラーが都会に通勤し頭脳労働で賃金を稼ぐ新しい生活スタイルが確立された。そして今リモートワークなど新たなモノによる散逸構造ができ、ますます人の使う自由エネルギーは減り続け、その分機械が消費する自由エネルギーは増え続け、結果トータルでは排出されるエントロピーは増えて温室効果ガスは増え続けている。工場では生産機械が機械を生産し、生産された機械が作動することで、人と社会の運用を支えている。それも人間にとっての自由エネルギー原理を支えるための散逸構造であり、それを推し進めることで地球規模のエントロピー増大の速度は加速している。

コンピュータという様々な散逸構造をモデリングして、制御できる、これもソフトウエアによる散逸構造の生産と言える。デジタル技術は情報をネゲントロピーとして秩序化して溜め込む、当にネゲントロピー生成マシンである。とくに物理的な熱エネルギーをともわないで、電気信号で大量なデータを整理して溜め込むことができる。当に自由エネルギー原理に則った、散逸構造である。それでも脳に比べたらコンピュータは大量の電気エネルギーを消費し、大量のエントロピーを排出している。


データサイエンスとは無秩序なデータ、則ちエントロピー値の高い情報を大量に集めて、そこから秩序を見出して活用するコンピュータ技術である。大量な電気エネルギーを消費しながらそこに新たな散逸構造を見つけ出すのだ。今そのようなAI技術は人間の脳に迫ろうとしている。


人間の脳も一種の散逸構造である。大量のブドウ糖と酸素を絶えず摂取しながら、動的平衡を保ちエントロピーを排出している。その中でニューロンが神経回路を形成し、推論エンジンや記憶を保っている。そこで生成モデルとしての、仮想的な散逸構造をコンピュータソフトウエアのように維持し、様々な散逸構造を脳内に実現していると言える。従って人間は自分自身に関わる判断や行動を自分自身のモデルや外的環境の生成モデルを保つことによって、確率の高い未来予測をすることができる。だから他人とのコミュニケーションが可能となり、社会を構成することができ、倫理や社会規範を保つことができる。


散逸構造が別の散逸構造を生む再帰的な散逸構造を、人間は、脳内の生成モデルでコンピュータ化した仮想世界のように実現している。それは環境に適応するために、新たな散逸構造の自己組織化を試み、それを脳内の仮想世界で実現しているのではないか? 自律的に考える能力がコンピュータになく人間にあるのはその辺の違いだと思う。コンピュータによる人工知能は、脳内の複雑な散逸構造を階層モデルの一部分を切り取っただけで、全て自己組織化された世界で成り立っている構造ではないとすれば、その違いはうなずける。


前回書いたように、それは散逸適応のように物理法則に則って起きる現象であるとするならば、それはなんとも不思議な気分になる。考えることが自由意志でなく物理法則という必然性から起きているとしたならば、この今考える自我の仮想性を目の当たりにして、自分の持ってゆきどころが何処なのか、まだまだ考える必要がありそうだ。