自由エネルギー原理とは、生物の行動原理として定義されたものである。生物は生き残るために環境に適応しなければならず、そのために、外界を内部でモデリングしてできるだけ正確に把握し、推論することで次のアクションを決める、それが行動原理になる。その際に、変分自由エネルギーと呼ばれる自由エネルギーの変化(コスト)を最小にするように行動が決まるというものである。

 

この原理を、その生き物自身に限定して適用した場合、できるだけ楽をしながら、コストを最小化できるよう予測し、あるいはリスが冬にどんぐりを隠すように貯めて、生命のリスクを最小化しながら行動することになる。それが、煩悩であり、生死であり、生存競争である。動物は、できるだけ楽といえどギリギリの線で生き残り、そこにリスク低減の余裕はなかった。

 

ところが人間は他と協力し、道具や機械を使い、社会をつくり効率化、役割分担し、また文字や書物、最近は記憶媒体にデータをため、世代を超えて引き継いで、さまざまな秩序(すなわち散逸構造)を作っていった。

 

このプロセスは、生物が、自分自身の進化(すなわち自己組織化による、自由エネルギー原理の追求)だけでなく、個人を超えた、家族、共同体、社会の秩序を作り、また生物だけでなく、道具、機械、コンピュータなどモノを利用した、ネゲントロピーの生成を実現した。これも大きな意味では、自己組織化による散逸構造の生成と位置付けることができると考える。

 

人間は動物と異なり、個人のコストの最小化を追求するあまりに、個人では必要以上に生き残りのリスクを低減するネゲントロピーを生み出した。それは、ネゲントロピーを貯めるという本能的な、欲の追求ということになる。しかし、それは自分という生身の人間の個人の生存に対しては、是の行動であっても、自分以外の他や、モノを含めた散逸構造における、自由エネルギー原理とは相反する形になる。究極にいえば、そのような人間が作り出した散逸構造を包含する、地球という散逸構造がある。地球という散逸構造の自由エネルギーコストを最小化しようとすれば、人間の行っている大量の化石燃料の燃焼はそれに相反することになる。人間は、自分だけでなく、客観を生成モデルとして持つことで、地球や社会、共同体の把握をし、予測できるようになった。これは、自分だけの利益(自分から見た自由エネルギーコストの最小化)を追求するだけでななく、利他的な利益(自他を含めた自由エネルギーコストの最小化)ができるようになった、ということである。しかし、それは個の本能的な行動に相反するので、苦を生んだりする。

 

それは、散逸構造には、階層構造があるということである。まずは細胞内レベル(DNA、ミトコンドリアレベル)、そして細胞レベル、臓器のレベル、人間(個人)のレベル、モノと人間が関係する複雑モデルのレベル、人間が家族を作るモデルのレベル、共同体を形成するレベル、国家・社会のレベル、地球のレベル・・・・

 

人間はどのレベルも情報を捕捉、理解し、内部に生成モデルを持って、予測、推論できる。それぞれのレベルの散逸構造は自己組織化され、その内部エネルギーの変分を最小化すべく行動しようとした場合に、さまざまな利益相反が起きてしまう。その矛盾が苦につながるのである。