エントロピー、ものごとの乱雑は必ず増大するというのは、受け入れがたい事実でもある。

なにか秩序を保ち、形あるものは必ず分解され、均一化されるということだからだ。

ビックバンの行く末はそのような世界であり、無限に広がってゆく。

 

でもその間でなにかが生まれて育ってゆき、そして衰えて死んでゆく。それはあらゆるレベルで起きる。銀河が生まれて秩序を保ちやがて死んでゆく。太陽や地球もそうである。

ある系に着目すれば、エントロピーは増大だけするのではなく、エントロピーが減ったり、保たれたりする。それは外部からのエネルギーなどの負のエントロピーを取り込んで、差し引きでエントロピーが増えないよう保つからである。例えば太陽の重力という負のエントロピーを受けて地球は公転している。太陽が超新星爆発してしまえば、公転と言う秩序は保たれない。しかし太陽がある限り、地球には太陽光が降り注ぎ、海水を温め雲を作る。雲は雨を作り大地に降り注ぎ川を作る。大気の循環という秩序は太陽がある限り保たれている。それはエントロピー増大には直接関係なく、むしろエントロピーが増えないよう秩序を保ち続けている。それは地球は独立した系ではなく、太陽や月との関係の中で存在しているからである。そのようなオープンな系(開放系)においては、エントロピーは増えなかったり、減ったりするのである。でもそれは、外部からのエネルギーや影響をとりこんだりした結果として実現できるものであるから、それがなくなってしまったり変化してしまうと、結局は維持ができなくなる。それが死であり、死によってその系におけるエントロピーの制御はできなくなる。

結局、全体としてのエントロピーは増大する。生まれた秩序はそれが有効である間は、外部にある負のエントロピー(これをネゲントロピーと呼ぶ)を消費して、エントロピーを制御しようとするし、死ねばせっかく保った秩序も風化してエントロピーの増大につながるからである。

 

ただ生死の間は、その系の内部ではネゲントロピーが実現する。

 

それが地球であり、生き物であり、人間であり社会である。