今週のNHK BSのヒューマニエンス、非常に面白かった。タイトルはバーチャル。

 

ヒューマ二エンス

 

 

 

人間の営みは基本バーチャルで自我はバーチャル、身体は無自性、あるとも言えるが錯覚とも言えるということを科学的に論じた番組であった。別に仏教の番組ではなく、人体の科学の番組だ。

人間にはないものを有ると考える能力があり、それが他の種との生存競争に勝つ差別化になったということである

 

 

メタバースなどで注目される「バーチャルリアリティー」。その起源ははるか太古にあるという。ヒトは“神話”や“貨幣”“国家”など、実体のない虚構の存在を信じることで、集団を維持、発展させてきた。そして今、VRによって生み出される実体のない世界を体験することで、更なる進化を遂げようとしている人類。その背景には五感を補うクロスモーダルというヒトの脳の特性があった。「バーチャル」が授けた進化の力を妄想する。

 

クロスモーダルとは五感などが個々にあるのではなく、複数の感覚をクロスに補う感覚である。例えば焼きそばのVRを眺めながら実際は素麺を食べても味は焼きそばになる。視覚と味覚がクロスオーバーするのである。ここでは視覚が他の感覚に勝ってしまい、素麺を食べていても焼きそばの味がするのだ。人間は記憶という媒体を使って、情報を保管したり取り出したりする。それと感覚は一心同体なのだ。焼きそばの視覚と味は同時に保管され、仮想世界の視覚的要素をキーに取り出される。舌で感じる現実の味覚は、仮想世界にオーバーライドされるのだ。

 

同じく義手であってもそれを触ることで、触ったときの感触を得れればそれを本当の手と思ってしまう。義手に針をぶっ刺せば思わず手を引っ込める。メタバースで感触を電気的に再現できれば、VRが実世界と全く区別がつかない映画のマトリックスの世界が本当に実現できるのだ。

 

そうすればバーチャルとリアルの垣根は本当になくなる。そもそも自我はバーチャルなのだから、それが可能なことは当然といえば当然なのだ。

 

ただ人間は時限的バーチャルだ。生と死に挟まれている。しかし、今後死ぬ瞬間もメタバースの世界で作り出し、死期を迎えた時に、リアルからバーチャルへ淀みなくシームレスに移行できるシステムができたらどうだろう?

 

誰もが天国に召されて、それが永遠に続く感覚を持って、幸せに死んでゆくことができるかもしれない。