物事が自性する、「有る」という意識は、止めることはできないと思う。確かに「自性する」と思えなければ、「生」の追求は難しい。確実に「有る」から、未来に対して目標をもち、その目標を実現するためのアクションを定義し、行動する。それが「生」の追求である。無論それは、不確実な未来の予想に基づくから、苦につながることもある。しかしながら、現在だけを考えて生きることは、特に現代社会の人間は難しいとも言えるであろう。だから仮にも有があって、生があってもよいと言える。

 

しかし、未来のことは、外れることもあることは頭に入れておかなくてはならない。その上で、生を追求するのは、悪いことではなく、寧ろ人間らしい、胴部tにはない人間らしい生き方であるということができる。

 

いつかは老死に至ることを知りながら、仮の生を謳歌するのは大事である。それが生きている証であるからだ。であるから、これは逆観というよりも、順観ではないか?と思うくらいである、