【觀涅槃品第二十五】 

「ニルバーナ(涅槃)の考察」と名付けられる第25章

 

25-21 滅後有無等 有邊等常等 諸見依涅槃 未來過去世

如来(ブッダ)が入滅後、存在し続けるのか、いなくなったのか?涅槃に達して終わりがないのか、常住するのか?これは世界を未来の限界(終わり)、過去の始まりという概念にとらえることで、発生する問題である。

 

25-22 一切法空故 何有邊無邊 亦邊亦無邊 非有非無邊

一切の法は空であるならば、何が有限でなにが無限であるか? なにが有限または無限であるか? なにが有限でないし無限でもないのか?

 

涅槃やブッダ(如来)の存在や存続は、始まりと終わりという時間的な分別があるか?ないかに依存する。ここでは一切の法は空であるという前提に立てば、始まりと終わりという時間的な分別も、無分別で、一元論で考えるべきだとすれば、涅槃はあるのか?持続するのか?ブッダは今も存在するのか?という問題は、どちらでもあるというかどちらでもないというかそういうことになる。

 

なにが一切空の考えのなかで、なにが有限でなにが無限か?という問いでは、世俗諦においては、有限もあり、無限もある。すなわち輪廻の世界である。しかしそれは仮の世界とすれば、勝義諦の世界では、有限と無限の分別はない。ということではないか?