人間は生きるためにもがき続ける。もがくことが良いことかを別として、アドレナリンを出して戦闘能力を保つ。それは動物的な生き方ともいえる。一方、人間は安息を求める。平和を求め、休息を愛し、余暇を愛す。癒しのホルモン、セロトニンを出して、睡眠をとる。植物的な生き方と言える。このふたつは「即」という関係にあり、戦闘がないと生きる力を保てないと同時に、安息もないと生きる力が保てない。逆に戦闘だけだと、疲れてしまってスタミナが続かないし、安息だけだと、様々な脅威に挫けてしまう。だからバランスが大事だし、それは自分の置かれている状況がどうであれ、大切な話である。

 

ラッパを吹いてないで怠けていると、ラッパを吹けなくなってしまうように、安息を求めて行動しなくなると、行動できなくなり、結局安息できなくなる。逆に戦闘だけを追求して、ラッパを吹きすぎたら、唇は腫れてラッパは結局吹けなくなってしまう。適度な安息は必要なのだ。そうやって持続して生きてゆく、生まれてからすぐ、戦いであり安息であるし、死ぬまで戦いであり安息でもあるのだ。シャケが川でイクラから生まれた時は、他の魚に食われてしまう最大の危機であり、死ぬ時は命懸けで生まれた場所に戻り、最後の力で産卵して、力尽きて死ぬ。自然界では、生と死は戦闘そのものなのである。

 

赤ん坊が大声で泣く、戦闘の欲動もあれば、死ぬる寸前まで、病気と戦う、戦闘の欲動もある。

赤ん坊の戦闘の欲動の裏には、泣いておっぱいを吸いたいという安息の欲動があり、次の瞬間には安心して吸い付いているのである。同じく死ぬる寸前の戦いには、やはり安息が待っているはずである。フロイドは死の衝動と言ったが、その力はまさに安息を求める、生の衝動に等しい。

 

激しい戦闘には、至極の安息が待っている、それを目指すことに死ぬ直前まで同意できる人であれば、安直な選択はなくなり、最後まで戦い続けるモチベーションが生まれるであろう。それが彼岸にいる人の姿ではないか?