橘紋 ~家紋からルーツを探す 第7回
こんにちは!
家系図作成の専門家「家族の樹」です。
江戸時代に庶民が苗字を持っていたことは
広く知られるようになってきました。
それで苗字はどこで分かるかですが、
これを確認できる史料に「宮座」の記録があります。
現在調査中の村には、幸い宮座記録が残っていました。
村を構成する苗字、村をつくった草分けの家が分かります。
実に興味深い記録です。
今回は橘紋について書きました。
ご一読ください。
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橘紋は橘の葉や実を図案化したものです。
橘の木は垂仁天皇の命を受けた田道間守(たじまもり)が、
伝来者の名にちなみ「田道間花」とし、
ここから「たちばな」といわれるようになったと伝えられています。
奈良時代、県犬養美智代は天皇から大変愛され、
橘の姓を賜り橘美智代と名乗りました。
その子・橘諸兄は橘姓を継ぎ、橘氏は広がります。
橘諸兄の時代には家紋はなく、
後孫が橘氏のシンボルとして橘紋を用いたと考えられています。
しかし、橘氏はそれ以降振るわなかったために、
出自とは関係なく他氏が橘紋を用いるようになりました。
橘紋の武家で最も知られるのが、
遠江国井伊谷(浜松市)から起こった井伊氏です。
井伊直政は徳川四天王の一人と称され、
子孫は彦根藩十五万石の大名として続きました。
井伊氏の祖・井伊共保には次のような伝説があります。
共保は社参に来た神主に井戸で拾われた赤子で、
その井戸にあった橘の一果をもって共保が産衣の紋としたといわれています。
以後、井伊氏は「井桁に橘」を家紋とするようになったとされます。
井伊氏は「井桁紋」と「橘紋」を別々にして用いており、
『見聞諸家紋』では筆勢のある井の字となっています。
その他、橘紋を使用する武家には、
土佐の安芸氏、播磨の小寺氏(橘に藤巴紋)、
薬師寺氏(丸の内三本橘紋)、近江の山中氏、
近江の雨森氏(十二葉付三つ橘)、肥前の渋江氏があり、
その他にも藤原流の村上・篠瀬・久保氏、
橘流の紅林・薬師寺氏ら九十余家に及ぶ旗本が橘を定紋としました。
また「井桁に橘紋」は、日蓮宗の寺紋としても知られています。
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